2012年6月15日金曜日

今日の想い 417

全ての存在は或る主体と対象の授受作用の関係性で存在している。三位一体論の三位神それぞれの存在の関係性をどう捉えるかという神学上の大きな問題がある。この難問に対して、神様を中心として霊的イエスと聖霊の授受作用の関係性で明快に説明できる原理を、世界会長は誇らしく説明しておられる。この授受作用という概念を正しく受け取っているだろうか。夫婦であったり親子であったり、教会で言えばアベルカインであったりと言う、そう言った関係も他体自覚を持てない個人と個人との関係性のみで理解するから、どんなにひとつになって一体化しても、所詮個と個は別々でひとつになるとは気分上のことだという無意識の思い込みがある。どんな仲睦まじい夫婦であっても二人はやはり二人であって、合体してひとつに溶け合うことはあり得ないという決め付けだ。しかし私と言う固体を見るときに、心と体がひとつになっていない、戦っていると言われながら、本人には自分の心と体はひとつだという別の思い込みもある。個体が別であればひとつにはなれないと言う観念、ひとつの個体であればひとつだと言う観念、その観念が私は私という個体、私という牢屋の囲いのことが全てであり、私という枷(かせ)を外して自由な世界に飛び立てないでいる。家庭を築いてもやはり個人であり、国の中でも個人、世界の中でも個人と言う四方の壁を崩すことはない。そしてそんなに執着を持っている個人でありながら、その個人の中がどうなっているかもわからず、ましてや心と体が分かれて分裂しているという感覚もない。要するに外界とも関係を持てず内界の状態も分からず、ただこの皮膚で隔てられている個という覆いが全てだ。個という覆いが自体自覚に留まらせ、その意識状態では授受作用の概念を正しく受け取ることはできない。