2012年6月23日土曜日

今日の想い 424

大宇宙に比べれば小さな一点の地球であり、その小さな一点の地球の更にミクロ単位でしかない私と言う存在がいる。そんなミクロの人間存在の中に大宇宙を実感でき、大宇宙を巡ってもいることをどれだけの者達が知っているだろうか。人間をミクロコスモスと呼ぶ理由を器官系という外的肉体に知識として見るだけでなく、内的霊的な見地に立てば、様々な心魂様相を味わいながら実は大宇宙そのものを把握主管しようとしている。太陽を中心として、地球を含む惑星がそれぞれの円軌道を走っているわけだが、唯物的物理学的にイメージしている宇宙様相は、実は心魂世界の象徴として存在していて、時間を時計で把握するように心魂世界を宇宙で把握する。太陽やそれぞれの惑星間の距離や位置関係が心魂世界の状態を表している。地球が、他の霊的存在の形成ではなく人間形成のステージであるように、それぞれの惑星は天使や霊的存在のそれぞれの形成のステージだ。人間は神の形象的実体だという意味を問うてみると、神が創造を意志されてから、霊的存在の創造はその都度段階的に為され、創造された霊的存在は新たな創造に関与し、そうやって神の創造を共にした霊的存在達すべての心魂ステージを併せ持った存在として人間は作り上げられ、すべての階級の霊的存在と相和同できる存在になり得ると言える。惑星には最もシンプルな熱様相としてだけの土星が存在しているが、土星は心魂の基礎の基礎を形成する魂の第一ステージとして存在している。土星から始まる惑星での魂のステージを積み上げていって、心魂が複雑化していきながら、最終局面の霊的存在である天使長として、彼らの天使長形成ステージを月で終えた。そして天使長は次なる最終ステージの地球創造、人間創造の最終段階に関与した。この関与に於いて堕落という事件が起こってしまった。堕落しなければ、内的霊的知を供えて愛の完成存在となって、大宇宙とリンクしている自らの心魂世界を飛び回り、愛で把握主管しただろうに、堕落人間の心魂は肉体のジェイルに捕らえられて本来の心魂が開かれてはいない。私の心魂が開かれるときが本当の開闢だ。それは基元節のことかも知れないし、何代か後の後孫のことかも知れない。しかし、必ず心魂が開かれて、私自身が宇宙であると実感できる時代が来るはずだ。