2012年6月26日火曜日

境界が取り払われる

霊界がどれほど恐ろしいかと言うことを殆どの者は知らずにいる。私の意識は目覚めている時にしか働いていないが、その意識はあくまで外界に向いており、私と言う認識も外界に向いた意識で照らして認識しており、霊的意識が開かれて霊的意識で照らされた認識とは全く異なる。しかし霊界が主体であり地上界が対象であるように、霊的意識を主体に備えて概念、認識を組み立ててこそ対象である地上意識も正しいものとなる。霊界、地上界の境界が取り払われると御父様は語られたが、それが単に霊界が見えるようになるくらいの軽い感覚で捉えているようだけれども、その意味がどれほど恐ろしいかを、せめて原理を知る私達は理解しておかなければならない。私達は霊界地上界に足をかける存在ではあるが、或る種のフィルターを霊的本質に何重にもかけられて直接的霊的なものから保護されている。それは内界でも保護されており外界でも保護されている。通常の意識はその保護フィルターを超えて届くほどではないから守られており、意識圏内に保護されている以上、意識圏外があることなど思いもよらず、霊界の実在に対して信じる者も信じない者もその実感は殆どない。しかし霊界、地上界の境界が取り払われるとどうなるか。それは保護フィルターが取り払われ霊的なことがダイレクトに押し寄せてくる。保護は人間の内外両面にあって、内面の魂の境域の深みに霊的世界はあり、外界地上界の存在の背後に霊的世界がある。天宙の霊の働きは地上人間の想像を絶する壮大かつ圧倒的で、保護なし準備なしで投げ込まれるなら恐るべき混乱を体験することになる。内面を保護している境界が取り払われると、先ず己の不完全さに羞恥心の火で焼かれるだろう。外界を保護している境界が取り払われると、麻薬で幻想世界に入って行くように霊の迷宮に迷い込む。幻想世界はまだ迷宮の入り口近くで高揚や恍惚を覚えるくらいでも、霊の迷宮に迷い込めば私と言う統一的霊は拡散し霊の餌食になる。私達は保護を取り払われた時の準備として、御父様に帰依し、み言葉とひとつになり、絶対信仰絶対服従を備えている。