2012年6月21日木曜日

今日の想い 422

血統の話を持ち出すのであれば、御父様が後継として決められたのが御子女様であっても、血を繋いだ存在であるならわざわざ決められた御方に付かなくとも血統圏の誰を支持しても構わないと言うことだろうか。後継を血統圏外から立てられたと言うのであれば、血統の話を持ち出すのも頷けるが、後継である御子女様の意にも反し、御父様の意にも反している別の御子女様を立てるのはどうも納得がいかない。御父様の真意は指示し表明されることとは裏腹であり、それは周囲の牛耳っている者が言わせているのであって、そこまでも慮(おもんばか)って判断すべきだと言っているように思えるが、それこそが詭弁でありそのこじつけの論理で納得する者がいるとするなら、教会に恨みを抱えていてその感情が目を曇らせているとしか思えない。正当性を突き付けられれば血統を葵の御紋のように打ち出し、逆に血統の話になると正当性の話に挿げ替えようとする。終いには御父様が霊界に行かれた後の心配までも持ち出して、暗に力のある御子女様に今のうちに従うことが得策のような言い振りも匂わせている。彼らが持ち合わせる内外の材料を、自分の思い込みの秤にかけて善悪の決め付けを為していく、それはかつての共産主義者が踏んだ轍(わだち)を、原理らしさ或いは信仰らしさを装ってはいるが同じ轍を踏んでいて、御父様が共産主義からタイムズを奪還したと話されたことと一致している。彼らから絶対信仰、絶対服従という言葉が見出せないのは私が注視せずに見過ごしたからだろうか。