2012年6月25日月曜日

今日の想い 426

心の弛緩期を終えれば再び緊張の時を迎える。私の戦う相手は私の胸に広がる感情の背後にいる。問題の外的姿はその都度趣向を凝らしながら迫って来るけれども、外的なことは最悪の場合の覚悟さえ備えればそれでいいのであって、引き起こされる胸に広がる感情を操っている霊的存在が私の戦う相手だ。それは私自身でもあると言える。私自身と戦うという認識は心と体が戦っていることを踏まえての認識だ。心が折れるという言い方をするけれども、内面に立てていた柱が幾つも倒されていって、謂わば内面地震を受けて連鎖的に内的柱が折れて倒れていく。しかし御父様に対する絶対信仰という屋台骨だけは、どんなことが起ころうとも倒してはならず、生活や生きて行く上でのいろんな柱は折れるときには折れるもので、それを折るまいとして屋台骨を疎かにして補強に当たると、私の存在そのものが怪しくなってくる。逆に、付随的な柱が折れてしまうことで、絶対信仰という屋台骨を中心としたより強固な生活(意志)柱、思考柱、感情柱を新しく立て揃えることができるだろう。打たれれば打たれるほど強くなり、考えれば考えるほど形を整え、悩めば悩むほど柔軟性を帯びた心魂柱が立つ。生活を脅かされるような問題が生じると、絶対信仰そっちのけで生活を守ることに転じてしまいがちだが、拙い経験からいって、生活が否定されても、新たな、より土台のしっかりした生活ステージが必ずと言っていいほど現れて来るものだ。もちろん、新たな希望的チャンスが形になり始めるまで、信仰を屈してはならないのは言うまでもない。日本は大震災から一年を超えた。相当なダメージを受けるには受けたが日本の屋台骨は辛うじて残っている。しかし政治、経済、社会的公徳心のどの局面を見ても、屋台骨が崩れかけているのがわかり、日本という傾いている精神柱の芯として、天への垂直的芯棒を埋め込む必要がある。日本食口の使命の一つは、その芯棒を用意することでもあったはずだが、ここまで来てしまった以上最後の望みは、日韓トンネル以外ないだろう。