2012年6月6日水曜日

今日の想い 413

絶対に勝つ。勝利して基元節のその日を迎える。今の状況がどうであれ、どんな感情が沸き起ころうが、どちらに判断が傾きかけるとしても、御父様に繋がりひとつになれば必ず勝利する。絶対信仰のその柱だけはどんなことがあっても揺らしてはならない。様々な悲観や否定的な思いが内面にもたげても、その度に返って柱を太く強くするべきであって、それでこそ御父様に訓練されてきた統一食口だと言えるだろう。いろんな戦いを乗り越えてきて、戦いの最中にはアップアップで隙間ほどの余裕もないものだが、それなりの決着がついて振り返れば、決着までのプロセスだけがいとも簡単に並べられていて、戦いで対峙していた怪物はどこにも見当たらない。立ち向かうときに相手した目前のゴリアテは、乗り越えて振り返るときには証しや生きた教訓という忠実な僕に変わっている。腰の骨を折られるほどに戦っていた相手は幻想に過ぎなかったのかとさえ思えるほどだが、霊的戦いに於いて霊的存在が屈服すると言うことはそういうことだ。屈服した忠実な僕としての霊的存在は、勝利パターン、勝利公式として私の内面に組み込まれて私の一つになる。勝利したという勝利的実感を得た者は、内的霊的に自分の中に組み込まれた復活した霊を見届ける。外的な実績のことばかりが気になり、憂いとして内面を満たしがちだけれども、勝利パターンを心得た者は、実績の門番である戦う霊的存在を常に意識している。霊的存在が屈服することで門は開き、外的実績は自ずともたらされるからだ。絶対に勝利すると公言する場合は外的な実績を指してはいるけれども、霊的勝利が外的実績をもたらすことを知っているからこそ公言できるのであり、実績の門番でありゴリアテ的存在としての霊的存在にしっかりと対峙して、屈服させるまで後に引かないことだ。実は本戦に至るまでの調整的試練の場で逃げてしまう場合が多く、戦いにすら望めない霊的に幼い多くの者達を御父様は見てこられた。御父様が悲しみ落胆されるのは当たり前だ。しかしそれでも私達を信じてみ旨を任せられ、何度も何度も落胆させられながらもその都度逆に戦いに望む私達を励ましてこられた。ダビデはゴリアテに対峙する前に、飼っていた羊を奪うししやクマに対峙して勝利を重ねてきている。小さなことであっても、今日勝利した内容を報告しながら、記帳しながら、勝利的運勢圏を拡大していけば、やがてはゴリアテも恐れるに足らずとなるだろう。