2012年7月2日月曜日
お金の価値はいつまで
現代社会の第一権威はお金だ。生活を維持し、生活を向上させる為にはお金が必要だという観念で未だ世界は回り続けている。生活を維持し向上させる為にはお金の前にお金より尊いものが先ず必要だと言っても、納得はするだろうが、未だ人類共通の観念にはなっていない。共通観念になっていなければ権威にはなり得ない。生活を維持し向上させたいと言う底辺願望は、生命が脅かされないという秩序が保たれている上でのことだが、もしこの秩序が崩れれば生活の為の観念は意味を失う。社会秩序が保たれ、金銭価値が担保されてお金への観念が通用する限り、第一権威の席はお金であり続け、何に取って替わるものでもない。しかしお金は金融の成長に伴い、生活に関わる領域を遥かに超えてしまっている。金融の膨らみは国家の枠を勿論超えているし、UNがUNとしての機能も果たず、国家間の微妙な経済的な繋がりの上に確かな世界国家が存在しているかのような幻想を抱いて、その血流でもあるかのように国際金融は世界を覆っている。築き上げてきた社会秩序が一瞬で崩れるとは誰も思ってはいないが、生活のお金が拠り所としているのは社会秩序ではなく、実は幻想の世界国家に流れる国際金融が拠り所となっている。国際金融が拠り所となっている以上、もはや国家経済はアメリカと言えども一蓮托生だ。ギリシャの破綻をEUが放って置けないどころか、アメリカでさえ放っては置けない。金融商品という紙切れは別の金融商品という紙切れで担保され、更に金融商品には保険が掛けられ(CDS)、お互いがお互いの保険を掛け持ちし、誰が利益を得て誰が負債を抱えるのか、利益を得ることが同時に負債を抱えもするという矛盾を抱え込んでいて、たとえば砂の数ほどもある玉のひとつに玉突きをすると、一瞬で全ての玉を小突きあって、最初に突いた自分に返ってくるようなものだ。今の全てのお金は、巨大お化けがその尻尾を握っていて、お化けが尻尾を引けば一瞬で巨大なブラックホールに価値を引き摺りこんで、価値を吸い取られたお金はものの見事に紙切れに変わってしまう。いつそれが起こっても不思議ではない今なのに、依然と国の社会秩序は保たれているように見せられ、お金はお金としての価値を認識させられているのは、敢えて、今の今はそうさせないと言う天の計らいがあっての事に違いない。そう思えて当然だろう。