2012年7月2日月曜日

店について

店の外面(そとづら)が玄関なら、店の内面(うちづら)が何かと言うと、私の店に関して言えばカウンターだろう。飲食業に長く携わる者なら玄関が大切で、玄関周りを綺麗に整え掃除することで客が入って来ることを知っている。集客する為の見えない鉄則のひとつだ。しかしいくら外面が良くても性格が悪ければ人を受け付けないだろうし、懐が広くなくては人は多くは集まってこないだろう。入りやすい店で店内に入ったとしても、客は自分が要求するものをこの店が提供してくれるのかどうかを判断し、それによって客は増えもするし減りもする。店の内容を充実させることが大切だと、携わる者なら誰でも分かってはいるけれど、オーナーの想いが先ず正しく確立され、その想いが従業員に伝わり、店全体の色となり香りとして漂うようになるには、それ相当の内外の投入が必要になってくる。難しいのは、それが頭で判断され論理だてて伝えるようなものではなく、人の心の領域にあるものによって判断もされ、心の領域にあるものによって伝えることもできるものだからだ。人間は霊的な動物であり、人に会っても、店に入っても、その人やその場の空気感を瞬時に嗅ぎ分ける。受け入れてもくれ、理解もしてくれ、必要とするものを与えてくれるはずだと、どれだけの人が判断するかが店の容量だが、客自身が気付いてはいないが客は判断を頭ではせずに空気感を嗅ぎ分けてしている。だから商売は頭でやるものではなく心でやるものだ。それが私の中で徹底されて心を研ぎ澄まし、身体に浸透されてこそ匂い立つほどとなり、従業員にも伝わり、客にも伝わるだろう。神社に外宮があり内宮があって、幕屋や神殿に聖所、至聖所があるように、私の店に玄関があって聖所の入り口であり、カウンターが至聖所の入り口であるなら、中に働く人間こそ店の至聖所そのものにならなければならないだろう。御父様が話されるようにレストランがレストラン教会であるなら、神殿理想をこの店で叶えていると思っても大袈裟なことではないだろう。