2012年7月11日水曜日
今日の想い 430
2012年の夏を生きている。取るに足りないこの小さな魂が、訳のわからない幾多の霊に絡まれ続ける夏だ。幾重にも張り巡らされた、仕掛けられた罠にいとも簡単に嵌りもがきながら、夏の暑さに力が抜けるように青息吐息で生きている。いつ消え去るとも知れないこの魂を、周りの霊達がもてあそぶ。何の得るところがあって私なんぞに絡んでくるのか。御父様を認識しているというただそれだけのことなのか。しかし為す術もなく佇んでいれば、時が解決してくれるというものでもない。そこで腹を決めて正面から挑んでいこうとするのだが、立ち上がる力が残っていない。しかしそれでも立ち上がろうとしている。今までがそうであったように、力尽きてもそれでも立ち上がる。戦う為に生きている。他でもないこの終末の時代に、生まれ落ちることを選択した私であって、御父様と共に戦う為に生まれ、生まれる前から召名を受け取ることは分かっていたようだ。意気揚々と戦うのではなく、血反吐を吐いて、死ぬか或いはまだ死なないかの瀬戸際の戦いが続く。この心魂の悶々とした味わいを、私は味わう為に生きている。どこまでもこの心魂は締め付けられ、どこまでもこの心魂は加重され、地の底を舐めながら這いつくばる。その己の有様をしっかりと直視しろ。それを惨めと見るか、いい気味だと見るか、お前は実際どう見るのか。どう見るとしても、この有様をお前は望んで生れ落ちた。だから、その有様を誇りに思え。翻弄され、痛めつけられ、嬲り者にされる私を誇りに思え。どんな有様であっても私の中に灯る火は今まで消えたことがない。そしてこれからも消えることがない。未来永劫消えることがない。どんなに消え入りそうでも決して消えない。それが私に根付いた御父様の分霊の灯火(ともしび)だ。やっとのところで持ち応えている死に際でさえ、それでも御父様の火は消えないことを、私が己の身で試している。2012年の夏を今日も一日耐え忍んだ。