2012年7月3日火曜日

氏族復帰

氏族メシヤとして氏族の復帰が私達の使命ではあるが、使命が「、、しなければならない」的なものである限り、使命はいつまでたっても達成されないだろう。氏族復帰をしなければならないのではなく氏族復帰をしたい。そう思えて当然だろうし親を愛し妻や夫を愛し子供を愛するように、叔父や叔母、姪や甥に想いが行って初めて復帰も現実味を帯びるだろう。私を氏族メシヤの位置に立てるのは私ではなく氏族達だ。私が氏族メシヤだと叫び続けたところで氏族の誰も相手にするはずがない。私はひたすら彼らを愛し、彼らの真の父母として御父母様を証しし続ける。愛して愛して更に愛が深くなって、氏族への想い、心情が溢れて彼らをかき抱く。その状態になることが御父様の願いだろうしそうなれば彼らは復帰されざるを得ない。いまだ私達は御父様の心情圏には入り込めてはいない。メシヤとしての御父様の宿命として、親兄弟、氏族を放って置いて私達を愛された。そのあまりにも重い心情の犠牲を踏み台にして今の私があるという、その意味することすら分かってはいないだろう。あまりにも情に於いて無知な私達を、口を噤まれて見渡される眼差しの奥に隠しておられるものを、誰が推し量ったことがあるだろうか。氏族への想いが溢れ出そうになれば、その想いを私達に向けられ、御家族への愛したい衝動をより私達を愛することに変えられ、砂地に大切な水をまき続けられるように私達に接してこられた御父様の心情はぼろぼろだ。四十数年ぶりに故郷を訪ねられた御様子が自叙伝の僅かの数行に載っている。そこに垣間見せられた御心情の一端から、御父様の氏族への想いを呼び出して私の胸の内に備える。その御父様の捨てざるを得なかった無念な氏族に対する想いこそ私達の氏族復帰の原点だ。