2012年7月26日木曜日

今日の想い 434

天宙には厳然とした天宙の法があり、天宙に存在しているならその法に従わざるを得ない。いやだと言っても従わざるを得ないのであり、別の法が存在する天宙以外の天宙は存在しない。この天宙は愛の天宙であり、そしてその天宙の法とは愛の法則だ。愛を裏切れば愛の法則に則って愛の裁きを受ける。愛の天宙であるから性相は形状化するし、すなわち想いを形として現わしたい愛の衝動をそこに見る。愛の天宙であるから男性は女性を探し、女性は男性を探すのであり、それは性相が形状化する無形の父が有形の子を現わしたい衝動を横的に担った愛の第二の衝動だ。愛の第一の衝動があくまで主体であり第二の衝動が第一に取って替わるべきではない。そのように愛の天宙だから愛の秩序が厳然としてある。しかし地上人間の現実として横的愛を探し求めることが優先されておりあらゆる問題が生じている。横的愛と言えば聞こえはいいが、愛を貶める、愛とは言えない肉への感覚欲求を満たしたいだけの衝動に墜ちている。愛の天宙を主管する愛の王様を見つけられずに、天宙は堕落以来彷徨い続けてきたと言える。歪んでその存在すら危うい天宙の中心位置に、真の父母を戴いた意味はまさに天宙的出来事だ。縦的愛を立て直し、横的愛をそれに合わせられ、歪んだ天宙は真の愛の権限で球体的存在を取り戻す。天宙ピースカップだ。そして真の愛の権威が全てに及んでいく。天宙の中心に真の父母を戴いたように、世界の国々の中心に天一国を戴く。天一国は真の愛の権威で治められる天国直行の国だ。御父様を地上に戴いている間に何としてでも祖国光復を為すのが私達が存在している意味だ。生きようが死のうが祖国復帰を為して入籍しなければ、私は存在している意味を改めて問うことになるだろう。