2013年10月15日火曜日

今日の想い 642

慰安婦に関する訓母様の言動であるとか、あるいは地震に関する言動であるとか、その一節だけを内面に満たしていくと、日本食口としては当然やりきれない想いに襲われる。その言葉を受けて何の否定的感情も起こらない、当然その通りであってさもありなんと、素直に受け入れられる日本食口がいるなら、その食口を私は理解できない。しかし一方でその言葉だけで訓母様を全面否定し、よって清平摂理も受け入れないと言い張る食口も同じように理解できない。訓母様が語った一連の日本に対する非難言動(本人が日本非難の意味を込められたかどうかはわからない)が真実なのかどうかと問う以前に、非難言動によって触発された否定的感情にどう対処するかの方が霊的見地に立てばより重要だろう。日本はエバ国家としてアダム国家に嫁いだ形になるが、要は日本は御父様の相対である妻の立場だ。食口、特に韓国食口にすれば姑であり小姑であって、彼らにすれば嫁いだ嫁に家の習わし、伝統を教えて上げようと言葉を並べる訳だけれども、嫁にすれば随分上から目線の言葉であったり、ヤッカミに過ぎなかったりと言うことになる。日本も数千年の歴史を刻んで今があり、その染み込んだ伝統や考え方や感情をして存在しているので、そう簡単に積み上げてきたものをチャラにはできない。そうなると俄然嫁への言葉としてはトゲを持つのが韓流だ。韓国ドラマの一つでも見ればよくわかる。そこでどう対処するのか、どう自分の中で消化するのかによって、日本が利口な嫁なのかどうかを問われている。利口であろうがなかろうが、日本は御父様の相対であり母の国に変わりは無い。しかし姑、小姑の試練を越えて、母としての威厳を持てる存在になることが御父様の願いであるはずだと思うのだがどうだろうか。日本食口は相当の犠牲を供えてきた。ある面いたぶられてきたと言う表現も外れてはいない。献金問題も含めて日本は今の痩せた体を更に鞭打つ状態を続けて、御父様の願いに応えることができるのかどうか。それは誰でもない日本自体が、日本の使命を担う日本食口が対処すべき問題だと思う。おそらくこう言えば問題発言に違いないのだろうが、献金を含めて摂理へ貢献できるかどうかの権限は、実質的には母の国自体が持っている。その母の国が言われっ放しで、口を開かず頭を下げ続けていれば、それで事済むのか、摂理は進むのか、その事も考えないと本当に日本食口は潰れる。日本食口が潰れれば母の国として立ち行かなくなる。

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