2013年10月9日水曜日

今日の想い 639

たとえ教会幹部の御父様への偽装報告があったとしても、それを御父様が信じられたとしても、それで子女様が解任させられるとしても、御父様の理解を得ようと詰め寄ったにも関わらずそれでも御父様が首を縦に振られることが無かった以上、引き下がって当然だろう。御父様だからだ。最後は御父様の判断に任せるべきだ。しかし彼らは御父様の判断を突っぱねた。御父様に従うことを拒んだ。その一点が狂っているから彼らのやること為すこと全ては御父様の願いに相反する。どれだけ正当性を訴えても、どれだけ論理的に説明しようとも、従わないという一点で反教会であり反真の父母だ。彼らの悲劇は、御父様が地上におられる間に悔い改めるべきだったがその機会を永遠に逃してしまったことだ。もはや悔い改めようにも許しを請う御父様がこの地上におられない。そうであれば、堕落の張本人になってしまったルーシェルが、悔い改める機会を逃して悪鬼の頭であり続けるしか存在の意義が見つからなかったように、彼らもまた、反旗を翻す姿勢を崩すことはない。頑なに取る彼らの姿勢に対して少しの不安でも覗かせようものなら、彼らは彼らの存在の意義すら否定されることになる。許しの特権を持っておられる存在を否定した以上、彼らに許しは無い。御父様の御聖和を反真の父母で迎えてしまった彼らだが、ただ一つの彼らの不幸中の幸いは、逆鱗に触れられた御父様を爆発されずに比類ない自己主管の力で身を修めておられたことだ。御父様が血を見れば恐ろしい存在になられることは察しが着く。彼らは血の犠牲を子々孫々にまたがり負うはめになったはずだ。御父様は怒りの感情を抑えておられたけれども、それでもこと直接関与する議題や関係した中心メンバーに接するときはその感情の一端を垣間見せられる。私は烈火の如き御父様の表情、御父様の目、御父様の行動を忘れることが出来ない。一般食口にしてみれば、早く引くべき馬鹿馬鹿しい裁判であろうし、それよりか伝道への意識を持つべきだと思うだろう。しかし後には引けない、引きたくてもそれを許さない御父様が私の中におられる。御父様が内側から皮膚を蹴破るようにプッシュされる。

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