2013年10月16日水曜日

今日の想い 643

朝、目覚ましが鳴って上体を起こしても、私の意識が昇ってくるまで暫く時間がかかる。別に低血圧ではないが、眠りが深すぎるのか、あるいは昼の意識を生きることを拒んでいるからなのか、直ぐに飛び起きて行動に移ることが難しい。上体は辛うじて起こしてはいるけれど、次の行動に移す為の意識を取りだせないでいる。献身して修道(軍隊)生活が始まったことで、先ず大変だったのは毎日の起床だった。当番が張り上げる起床の高い声と共に瞬時に蛍光灯の人工的光が明々と照らされ、無重力から重力圏へと無理やり落とし込まれ、この世で背負う重荷が私に負荷される。重力圏で上体を起こすのがやっとの私は、周りで飛び起きて寝具を片づけ早々と洗面台に走る食口達が宇宙人に思えたものだ。或いは逆に私が宇宙人だということだろうか。眠りから覚めようとする私は、微かな意識とは言わないまでも、私を統一された一存在たらしめる意識の柱がしっかり立たずに暫く揺らいでいる。その間、訳のわからない思考の断片が飛び交い、壊れたコンピューターのように記憶の断片が映像であったり音や声であったりと走り回る。それは霊界から地上界への繋ぎの領域であり、地上界から霊界へ赴く霊界への旅立ちでは私に刻まれた全ての体験経験を鮮明な映像で見せられるけれども、一日の目覚めは死の逆バージョンである地上誕生として、霊界から地上界へ持ち込む組み立てる素材をランダムに取り止めもなく取り出している。目覚めまでの間に私の中に昇って柱として立つ意識は、この無意識の領域である霊界から持ち込むあらゆる素材をどのように意識圏で組み立てるのか、私の意識が立ち次第それらの素材を用いて創造を始める。素材は形状の芽を出しかけた霊の性相であり、霊の性相は私の過去の内外の歩みの段階的霊的実りであって、善果らしきものもあり悪果らしきものもある。善果としての霊の素材はより善なる創造をもたらすが、悪果としての霊の素材は悪なる創造をもたらすか、または善果を引き立てて善の創造に加担させるかの両面があって、どちらを選択するかは私の意識次第だ。人は人間という精神存在、霊的存在として、み言葉を知ろうが知るまいが地上を生きることでそれぞれの創造を為してはいる。しかしみ言葉の本質を受け取った者は関わる霊の位階が異なり、より次元の高い創造を為す。より神霊に近い霊の素材を用意されて創造を始める。み言葉を受け入れる者もそうでない者も、同じ地上に存在してはいるが関わる次元が異なり、み言葉の本質を受け取った者は高次元の創造に加担していることへの誇りを持つべきだ。私を蔑ろにし無視する者は天が許さないという気概を持つべきだ。私達は御父様によって選ばれ集められた群れであるのに、実力も何もないと卑下するならば、御父様を卑下し、天を侮辱していることになる。今は確かに何も持ち合わせてはいないけれども、それでも、この群れは何もないのに自尊心だけは人一倍あると思われなければならない。その意味でとりわけ日本食口は、韓国食口の気概と自尊心を学んで相続すべきだ。み言葉の本質を受け取った者は神霊が関与するはずなのに、自分を卑下したままだと霊界が混乱して貶めた霊しか関与しなくなる。

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