2009年9月4日金曜日

今日の想い 100

ここ一、二世紀の間の科学の発達は目覚しいものがあったけれど、摂理として科学が発達する要素を終末期に用意された訳で、発達するように仕向けられたと言っていい。科学が発達するには人間の悟性の成長が必要とされる。人間精神が内的霊的なものを獲得することに使われていたものが、近代の救世主再臨準備の摂理の要求に応えるために、外的地上的なものを獲得する為に精神が使われる必要があった。悟性の発達成長に精神の多くを費やされながら、それ故に内的霊的なものへの衝動が弱まり塞がれ、科学至上主義へと偏向して行った。現代のような極度の外的化が起こることは予め予想はされていたけれど、復帰の全歴史路程がそうであるように、或るAと言う方向性とそのベクトルに反するBと言う方向性とが拮抗しながら摂理は進められる。最初はAが摂理の要求に応えるものとして或る方向を示して進む訳だけれど、Aの中にはサタンに相対する堕落の要素も含んでおりAが力を伸ばしてくると待っていたかのように堕落様相を現してくる。それに対するものとしてBが用意されサタン勢力となったAに対抗させる。歴史はそう言ったように、神とサタンが牽制し合い、戦いながら今日まで流れてきた。科学が人間の発達した悟性と共に摂理に貢献してきたことも事実であるけれど、神を否定するほどに傲慢になり内的霊的なものを完全に否定し始めると、科学と人間の悟性に反するものが用意されなければならない。科学と悟性が生んだ、物に事欠かない物質文明こそわき目も振らず目指したものであったけれど、物に満たされれば満たされるほど、満たされないものが内面にあることに気付いてくる。今、内的霊的なものへのベクトルが全人類を覆っている。人間としての喜びの永遠性を求めて、それを満たす絶対真理を探している。心の平安と喜びの永遠性を求めて絶対真理への渇望は益々強くなる。地上世界の如何なる存在も、如何なる様相も、堕落の要素を含まない在り様はなかったけれど、純潔要素のみの次元から来られたイエス様と、イエス様が残したみ旨を結論付ける再臨主として御父母様を、肉体を持った存在として地上に迎えたとてつもない奇跡を私達は生きている。自らの魂をみ言の中に、深く深く沈めていってこそ、奇跡が奇跡として自らの心魂に圧倒的な光様相として入り込むのが確認できる。自分の魂も肉体も思考存在も、真の父母から惜しげもなく注ぎ込まれる真の愛の光で貫かれる。内的霊的なものへの感度が塞がれている現代人は、それを実感することが出来ずにいる。真の父母によって神様が主管権を取り戻されたことで、霊界に直結している宇宙は、強烈な速さで真の愛に直結する要素で覆われていく。宇宙が変われば地球も変わらざるを得ない。地球が変われば人間も変わらざるを得ない。真の父母に帰依し内面をみ言で改革された者以外は、人間存在として地球進化には耐えられない。悟性を高めてきた人間として、悟性の力でみ言を取り込みながら、悟性とは違う力が受け取ったみ言から発せられながら、異なる次元に自分の内面世界が築かれていく。

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