2009年9月7日月曜日

真の愛に思う

真の御父母様と呼びかける時、見上げる畏敬の感情を伴うべきなのはその通りだけれど、父であり母であると言えるその感情は、肉の父親と母親の間で生まれ育てられながら受け取った感情である。親が子に向ける愛情故に、子は親への情を育む。親が子を想う感情を連綿と受け継いで、自分も親が私を愛したように自分も子供を愛する。父母の愛は子に向かう場合に於いて無償の愛であり為に生きる愛に違いない。どんな悪人であっても自分の子に向かう場合、それは無償の愛であり為に生きる愛であり、それ故に真の愛である。悪人であるから当人を起点として発せられる愛は全て偽りの愛だと言うことはできない。父母の愛の中にこそサタンが手を付けることが出来ない、連綿と受け継がれた血筋の中に唯一神様の性稟を垣間見ることができる。真の父母に対して偽りの父母とはサタンを指すのであり、肉の父母を偽りの父母と呼ぶことはできないだろう。肉の父母から受けた愛情の中にも神様の愛と言えるものは満たされている。親の愛をしっかりと注がれながら育ったものは、親に対してお父さんお母さんと呼ぶ感情そのままに、真の父母に向けてみればいい。真の父母をこの地上に見出せない過去に於いては、親の愛を含め如何なる愛も、真の愛と呼べるには至らなかったろう。真の父母が顕在され愛が愛としての役割を果たされる今だからこそ、親の愛は真の愛と呼べる。過去に於いては親の愛を神様が見る時、愛が愛としての役割を果たさない悲しみをそこに見ていたものを、真の父母が勝利された今、愛が愛としての役割を見事に果たす喜びを見ておられる。御子女様は御父様が人類に直接的に示された愛としての真の愛の何たるかを受け取られ証しされたけれど、食口のどれだけが、それほどの重みを受け取るに足る、内的霊的器を準備できているだろうか。

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