2009年9月29日火曜日

今日の想い 106

知ってみると、お兄さんだったというのです。お兄さんの立場から弟の立場から入れ替わっただけであって兄弟です。ですからこのような人々を、世界の人々を、皇族として扱うのです。統一教会がアベル的皇族なら、サタン世界はカイン的皇族です。(み言より)
我々が教会だと言う場合、サタン世界というカイン圏を愛しひとつになるという意志が備わってこそ、カイン圏を愛するアベル圏としての教会であると言うことができる。サタン世界というカイン圏を排除しようとする意志、排除意識が教会の中にあるのであれば、教会だサタン世界だと対立の境界線という城壁を高くするだけで、天の願いには反するものとなる。教会という概念の中に、サタン世界というカイン圏を愛し復帰する意志は込められていて、それが無いなら教会ではなくみ言を語る別のひとつのサタンの牙城を築いているに過ぎない。そう言う意味で開かれた教会になるべきで、探られて困るような裏事情は清算すべきであり、教会を守るという意識の中に、御父様を守りたいという思いがあるのはその通りだとしても、み言に鑑みてもう少し深く考える必要があると思う。親に手を上げる不良息子の兄がいて、親を守りたい一心で親思いの弟が兄に手をかけてしまった。そういう状況で親は本当に喜べるかどうか。サタン世界はカイン圏であった、知ってみるとお兄さんだったと言うのであり、不良であっても神様が愛する弟と同じ息子であったと言うことなのだ。神様にすれば、サタン世界に声をかけるとき、お前達を救いたいが為の教会でありアベル圏であって、彼らのみ(統一の群れのみ)が救われる事など思ったこともない、カイン圏に対してはそう語られるに違いない。我々が苦労するのも、親なる神様が悲痛な思いで別れざるを得なかったカイン圏を何としてでも迎えて胸に抱きたいが故であり、我々の苦労が報われるのはカイン圏であるサタン世界が戻ってきて神様に許しを請い、神様が彼らを息子としてかき抱く時の喜びを前にして初めて報いられるのだ。アベル圏である我々はその時、神様の愛がカイン圏に向いているのを見ながら、親の位置で一緒に喜んであげる事が出来るか、親の心情に立って歩んで来たのかを試される。

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