2009年9月13日日曜日

今日の想い 102

人間は、自分が取り込んだ概念でつくられた内面世界に住んでいる。それこそが現実であり、見回す周りの世界を変える事が出来ない現実としながらその中に生きていると思うのは幻想なのだ。事情圏、環境圏が自分の全てを決めるのではなく、事情圏、環境圏は作り出すものであり創造を加えるべきものとして眼前に広がっている。自分を中心とした過去の内的創造の結果を見せられながら、新たな創造を加えていく。神様が宇宙を創造され、御父母様が再創造されたように、私は何を創造するのかを問わなければならない。神様の創造は完璧であったけれど、神様御自身をも愛に主管される位置に立つよう創造された為、即ち、我が子としての人間に愛によって主管されたい衝動故に、必然的に原理の力よりも愛の力を強くせざるを得ないし、堕落が起こり得る可能性をも含んでしまった。事実、堕落は起こり、神様御自身があらゆる辛酸を嘗め尽くされながら愛の絶対性をこの世の神に示され続けた。無知なる人間に対して神様の愛を示され続けたのであり、この世の神、サタンと呼ばれるルーシェルにも神様の愛は示され続けた。愛によって失われたものを愛によって創造する再創造は、イエス様という第二のアダムから御父様という第三のアダムに引き継がれながら、アダムとエバが失ったものを真の父母が勝利されて取り戻された。御父母様の生涯は天宙再創造の歩みである。御父母様に繋がらなければ再創造された新しい天と地に参入することはできない。誓った絶対的性を御父母様の意志基盤とし、御父様の思考創造のツールであるみ言概念を相続し、創造の力となる御父様の心情を相続し、その上で再創造に加担する自分としての創造活動がなされていく。内面世界がこの世的言葉の概念で築かれている内は、この世から抜け出せない。言葉一つ一つの概念を突き破り、それは現実を超える事であり現実という大気圏を超える事を意味する。思考の創造、魂の創造という新たな愛の創造が人間存在としての生命活動であるなら、今の人間は生き永らえる事で自分に与えられている肉体の破壊を含めて、この地球を破壊している壊し屋に過ぎない。新たな創造を果たせないなら、人間は人糞製造機でしかなく、エコだエコだと言うが、人間の減少こそ尤も効果のある地球救助であり、少子化どころか姥捨て山法を制定すべきだろう。み言でつくられた概念、み言で築かれた思考こそ大宇宙の創造に加担でき、新しい天と地に住まうことができる。

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