2009年9月6日日曜日

今日の想い 101

ありとあらゆる宗教がありその下に宗派があり、それらの背後にはそれぞれの霊的存在が関わっている。キリスト教に於いても聖書の解釈により多くの流れに枝分かれしたと言うけれど、解釈を異にさせる霊的存在が背後に関わっていると言える。霊界を見渡す時、地上に於いてお互いがお互いを受け入れないそれぞれの内的領域に生活しているように、枝分かれした全ての領域が、霊界に於いては違う世界を築いている。それぞれの霊的存在はそれぞれの特徴を具え、その宗派に寄り集う人間像を見れば霊的存在の特徴的なものを皆が具えている。霊界に於ける全ての壁や障壁を撤廃され、それまではお互いの存在すら知らなかった霊界状況が一変しつつある。霊界での動向が地上の動向に反映されることはその通りだが、真の父母と共にみ旨を歩む我々の立場は主体の立場にあり、真の父母の意に従う我々の歩みが霊界を決定付けている。御父様は天宙統一の舵取りをされながら2013年1月13日のD-DAYの期限を前に、数百年を一日に凝縮された一日一日を送っておられる。比喩としてではなく事実そのように凝縮され、それ故に僅かの善なる条件が歴史的な大きな条件となり、またその逆として僅かの悪の条件が人類を滅ぼすとも限らない。それ程に、薄氷の上を足を運ぶような最後の闘いに臨んでおられる。全祝福家庭、全食口は御父母様の内的霊的事項に関わる切実な状況を引き受ける者となりながら、決死の覚悟で一日一日を歩むものとならなければならない。自分や家庭の事、収入の事や先々の生活の心配事などで精一杯だと言う毎日であるなら、この世の何も知らない人々と何ら変わりは無い。真の父母に侍る我々は天の眷属として、内的霊的次元に於いて遥か高次の位置でみ旨に携わっている。その誇りと権威と献身を纏いながら、内的には謙虚であっても天の御旗を掲げた強さを全面に押し出しながら、ぐいぐいと押していくべきだ。負債として引っ掛かる事、条件の足りなさや実力のない卑屈さ等で留まっている時ではない。真の父母を真の父母と認めている以上、天の眷属として選ばれし自分であることは間違いない。天の眷属として、宗教を初め様々な霊的眷属の中心的存在を相手にしながら、御父母様への屈服を推し進めている。闘いの結果は見えている。最終戦の前に、神側につくのかサタンに寄与するのか言い寄る立場を我々は取っている。

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