2010年1月20日水曜日

今日の想い 134

料理が好きでレストランで働きたい、サービスが好きでレストランで働きたい、こんな人材が飛び込みで入ってきたことは今までには無い。勿論求職者はそれなりのことを最初は口にするけれど、普通目の輝きが伴ってはいない。口だけが面倒くさそうに動き、その口が半開きのままこちらの返答を待っていたりするだけだ。それなりの格のある店であればそう言うこともあるのかも知れないが、地方の食べ物屋となるとそんなもんだろう。それよりは、何でもいいから兎に角仕事が欲しいと気持ちをぶつけてくる求職者の方が十分使える。人を雇う立場にいるといろんなことが見えてくる。フレッシュの時点ではやるべき事を教え、マネージャーや他の従業員への接し方、守るべき事等を伝えるが、ミニマムに留めておかないと人間言われた全てが頭に入って行動できるなど在り得ない。現場で仕事を覚えながら徐々にということになる。大抵は本人が周りの従業員を見ながら、仕事のこなし具合や程度を自分なりに算段し、他の従業員の店への貢献度がどの程度が算段し、高からず低からず自分の着地の位置を決める。一度位置を決めれば後は自分のバランス感覚に委ねて、特別向上するでもなく無闇に投げ出すでもなく、可もなく不可もなく仕事に向き合う。それだって決して楽なことではないし大変なことではある。しかし、従業員がその位置からブレークスルーすることはない。活動圏内に目指す高みを見出せずに居る。目指す高みは何処か別のところにあると思っている。それは現状への不満や気持ちの逃げ道にしかならない。私が従業員に対してそう思っていることがそのまま、信仰生活に於ける私にも当てはまる。み言に対する姿勢やみ旨への熱意、そして御父母様に向かう慕う心情も、適度なバランスを取ってそれなりに時間を繋いでいくなら、今の位置からブレークスルーすることは決して無い。この内面に高みへの衝動を失ってはならない。熱く熱く燃え盛るものを内面に感じていればこそ、御父母様と呼べる存在で居られる。

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