2010年1月15日金曜日

えびの高原で

宮崎の都城に少しいたことがある。広島で高校生の時復帰された私は、献身した後暫く勤労青年の宿舎、青年部に籍を置いていたが、広島から宮崎に教会長で就任した先輩の元へ行くことになった。最初は宮崎の市内で販売活動をしていたが、実績を出すのは無理だろうと思われたのか都城の開拓教会へ送られる。そこには腰の悪い教会長と自分の事を自分の名前で呼ぶ少し変わった姉妹がいた。聖日礼拝には二、三人が訪れる程度で、後は万物復帰に明け暮れる毎日だった。ある時、教会長とふたりで熊本まで繰り出したことがある。えびの高原を超え、人吉を通って五木村まで行った。どういう訳か田舎が好きなようで五木村などは山間の谷沿いの急斜面に家屋が点在しており、留守が多い一軒一軒を回るのは大変だったのを覚えている。この遠征に何時にも増して教会長が興奮しているので相当決意しているなと思ったが実は別の要因だった。先ず向かった先はえびの高原だった。えびの高原のどの辺りかはよく解らないが硫黄臭い禿山に小さな露天風呂があった。粗末な脱衣所があるだけの混浴露天風呂だった。風呂には地元の人だと思うが恥を気にしない老女が二、三人入っていた。教会長は、温泉に来たのだからお前も入れと言い残し素早く衣服を脱ぎ捨て入っていった。観光地なだけあって周りには若い男女も通りかかる。躊躇したが言われるままに衣服を脱いで畳むと素早く熱い湯の中に身を埋めた。熱さも半端ではなかったが大事なところを手で覆っただけの若い身体を曝したくはない。教会長はお婆さん達と世間話に花を咲かせている。私は時折通りかかる若い女性の視線が気になって温泉を楽しむどころでは無かった。入れ替わり立ち代りやってくる観光客の途切れるのを待ってやっとのこと温泉地獄から抜け出すことができた。もう少し遅ければ湯当たりで倒れたかも知れない。当時温泉に浸かる金もなく、教会長にすれば只で温泉に入れると踏んで、万物復帰を名目に足を伸ばしたのだろう。勿論その後、更に車を走らせて復帰の為の田舎巡りをしたのだが、出発した時の教会長の意気込みは既に消えていた。

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