2010年1月23日土曜日
喉と呼吸
2009年度のNHK紅白を見ると、テーマが歌の力、無限大とある。確かに歌の力には大きな力がある。寂しく静かな田舎にいると、ラジオから流れてくる歌は唯一寂しさを紛らわせ、山間にある家屋に辛うじて届く電波の周波数に微調整で合わせながら、夜中寝入るまでラジオに噛り付いていたものだ。微かな風の音しかしない静かな悲しい冬の夜も、好きな歌でも口ずさめばそれだけで周りの空気は一変する。下手な歌でも自分の喉を通して響かせた歌は、その場を私流に清め落ち着ける雰囲気をもたらす。紅白を聞いていて意味の解らない歌詞も中にはあるが、紅白に出場する色んな歌声を受け取りながら、それぞれの歌手がもたらす様々な世界に共鳴している。喉頭部、のどと言う器官は人間の器官の中でも霊的表現ができる器官だ。喉が霊感に充ちた音を響かせることができなかったら、人間の魂の内面を歌の力によって表現することはできなかったはずだ。霊的表現力や主管力を強める一つの方法はこの喉の使い方にある。喉を通して響かせたものが作用を及ぼす。復帰された当時、黒板の前でよく講義練習を行った。講論の文章を目で追うのとどちらが身になるかというと、明らかに前者だ。声を出す、喉を響かせるという行為がその響かせた言葉の本質に落とし込む。そこに霊的力と作用が働く。喉の使い方と同じように、いやそれ以上に大切なことは呼吸だろう。呼吸しなければ死んでしまうので当たり前といえば当たり前だが、呼吸過程に正しい働きかけをすることが霊的高みへの発展を可能にする。呼吸は霊を吸い霊を吐く。呼吸過程に祈祷のような魂の気分を供え、結びつけることが大切だ。前に御子女様が深い呼吸を為しながら吸う時は感謝の心を供え、吐く時は、、、何と話しておられたでしょう。要するに宗教的気持ちを呼吸に供えることで高みに向かう霊的感性を得ることが出来る。霊的高みから届く、その霊に根ざした愛こそが本当の愛だ。その神霊的であり宗教的な愛こそが我々がつむぎだし地上に落とし込むべきものだ。
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