2010年1月3日日曜日

今日の想い 129

レストラン教会で真の神の日の啓拝を捧げる為に向かった折は、雲間から顔を見せる初日の陽光が東向きの正面玄関に届いていた。昨年末は、過去の12月では経験したことのない大雪にワシントン地域は見舞われその後もまた雪に覆われたりで、2010年を穏やかに迎えるという感じではなかった。二人で店に着くと眩しそうに東の空を眺めながら、妻が感嘆の声を洩らす。私も妻の覚えた喜びに素直に共鳴したかったけれど、昨年暮れから抱えている問題が私の内なる心に暗雲をかけている。何時になったらこの暗雲が吹き飛ばされて透き通るような青い空を見上げることができるだろう。霧が深くて明日さえも見えない日々を年が明けても送っている。それなりに責任ある者が年初めにこんな状態ではどうしようもないと、なるべく元気を装うとするが限界がある。決して一日二日で片付く問題では無いにしても、感情の整理や持つべき心情の在り様を先ず探すべきだ。それが為せずに時が解決してくれると思うべきではないだろう。明けて今日二日、凍て付くという言葉そのままに寒風が吹きすさぶ。寒風に身を縮めて身を護ろうとする自分がいる反面、心の内をこの強風に曝して暗雲を吹き飛ばしたいと思う自分がいる。冬には珍しく雷も低く唸っている。自然の摂理から受け取るものが、私の魂の在り様と何らかの関係を持っているはずだ。大雪が降り、強風が吹きすさび、雷が轟くその真っ只中に身を埋めながら、雪を降らす霊的存在、風を起こす霊的存在、雷を響かす霊的存在が私の魂に働きかけている。その力を受け取ることができれば、魂を開いてその力を担えれば、私の魂は強くなる。地球の力を、宇宙の力を得て強くなる。頑なな魂の在り様から自然や宇宙から内的力を得ることのできる柔軟な魂に蘇生させる必要がある。個体的石のような魂を融解させ、委ねて受け取るという液体的気体的働きと力を培う必要は益々迫られるだろう。何が起こるか解らない、思いも因らない事柄が降って沸くことが茶飯事になれば、頑なな内的在り様は命取りになる。

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