2010年1月28日木曜日
今日の想い 136
どれ程追い込まれても、追い詰められても、御父様と呼べる私で居られるということが先ず救いだろう。光溢れるこの地上に住みながら、この心の何と暗いことか。どれ程光を浴びても、身体を突き抜けて魂まで届けられる光として受け取ることはできない。内的光源としての御父母様が居られるけれど、私の中で燦燦と降り注ぐほどに御存在を受け取ってはいない。絶対信仰の基準とひとつにはなっていないということだ。御父母様が勝利されて、天宙は創造歴史上かつてない様変わりを見せようとしている。既にその変革は水面下で行われているけれど、あまりにも急激な変化は心魂に於ける準備が為されていない人類に取っては大混乱になる。その人類の準備を担った成約の群れでありながら、自分の状況に見ると同じ様に我々の中にさえもその準備はなされていないだろう。み言を訓読しようにも、み旨を歩もうにも、御父母様に向かう本当の求心力を得られずに居る。前にも述べたように地上に於いて外的呼吸を為しながら霊を呼吸している。神霊の冴を自覚すれば、呼吸する霊がよどみ穢れているのを感じるだろう。憎しみを持つ相手を前にして息遣いが荒くなる感覚だ。私達はこの世的自己中心的な心魂の呼吸を苦しく思えなければ堕落的で在り続け、み言で清められ活かされた、真の愛の関与する神霊を呼吸する存在とならなければならない。遠からず天宙の在り様は一変する。何らかの形で真の父母に繋がり真の愛を呼吸できる存在でなければ心魂存在として残れないはずだ。御父母様を自我の拠り所とする新しい宇宙を内的世界に築かなければならない。真の愛の道理で築かれる新しい天と地が自分が住むべき心魂様相なのだ。今と言う心魂的混沌期にあっても御父母様と呼べる自分であればこそ、必ず光り輝く新しい内的世界が開けてくる。
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