2010年1月16日土曜日

今日の想い 132

不思議なもので病に臥すと、しっかり忘れていた遠い過去の記憶が昨日の事の様に鮮明に蘇る。それも思い出したくない記憶が深層の深みから浮かび上がってくる。おそらく内的霊的にバランス感覚が働き、過去の負債のひとつひとつを取り上げながら、この病を受けることによって帳消ししようとしている。そこには個人的な負債もあるだろうし代々積み重ねられてきた遺伝的連帯的なものもあるはずだ。罹ったこの風邪も受けるべくして受けたと言えるだろうし、この年になった今だからこそその感覚は持っている。妻の場合腎臓の慢性病を抱えてしまい、三年待って移植は受けたものの更に三年を越える今、機能は大きく低下している。浮腫んでぱんぱんに腫れ上がった象の足を持ち上げ、一生懸命さすっている妻を見ると切ない。夫婦が一体と言うなら管で繋がれて、足りない機能を私の機能が補い、処理しきれない毒素を私に流し込めれば、肉体的にも一体と言えるのにと真面目に思ったりする。妻の病に関しては幾度も幾度も問いかけ、その意味するところを知ろうとした。しかし知らないほうがいいゾーンもあるのだと言うことは尋ねながら解ったことだ。意味が理解できないとしても、ただ自分に対する神の摂理なのだと甘受すべきものとして受け取る姿勢のほうが、解って受け取ることより大切だろう。清平四十修に出てから既に15年が経つ。考えて見ると咳が止まらない状況は清平風邪と言えなくも無い。昨年末に解放して頂いた条件もやっているし、旧暦に重心が移るなら新年はまだ明けていない。清算しきれなかったものを清算させて頂いているのかも知れない。内臓が飛び出そうな咳に悩まされながら、脳裏に浮かぶのは遠い過去の記憶から四十修の記憶に変わってきた。

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