2010年1月25日月曜日

今日の想い 135

カーステレオで流行り歌を流し、聞き慣れたバラードのメロディーに心を預け、雨が上がった深夜の街を走り抜ける。もう少し時間が経てば信号も一斉に黄色の点滅に入るが、それまでの街を南北に抜ける通りは、見渡せる向こうまで緑が続いている。悲しい緑が雨に濡れた舗道に映り、切ない気分が更に切なくなる。小雨がフロントガラスにかかり、それが街の景色を虚ろにしているのだろうかと思ってワイパーを作動させるけれど、舗道に映る緑も切なくワイパーの泣くような作動音も単調な動きも切ない。そのままに任せていれば泣き出してしまうと気が付き、背筋を伸ばして運転に集中する。気を許せば、孤独な自分が幾らでも頭をもたげてきて、決意も覚悟も否定的感情で覆い溶かしてしまう。残酷な子供に面白半分に塩をかけ続けられるナメクジに似て、深く呼吸するのさえ面倒くさくなる。学校が始まるので子供達を寮に送った帰りの車の中、色んな想いが心の表面に浮いてくる。子に対する親として情けなく、妻に対する夫としても情けない。どうすることもできない田舎の親に対しても情けないし責任を持っている店に対しても情けない。そんな感情に浸っている私は御父母様に対して本当に申し訳ない。でも覆い被さる責任を引受ける器量も無ければ投げ出すこともできない。責任を背負うことの孤独がこれ程の氷の世界なのかと、今更ながら思い知らされて震えるばかりで身動きが取れないでいる。カーステレオを通して耳に届く不倫の愛の調べに心を委ねるのも、少しでも触れられれば甘い誘いに気を許しかねないほどに孤独でどうにもならない表れだろう。この気持ちを床に就くまで引き摺ったとしても、明日の朝には笑顔で御父母様に挨拶できるよう、泣いても笑っても引受けねばならない責任なら、笑って引受けることにしよう。一筋涙が流れても、それくらいは許していただくことにしよう。

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