2010年1月30日土曜日
夫婦を考える
私の一言で傷つき躓く。傷つける為に躓かせるためにその一言を口に出したのではなく、口にして伝えるべきだと思って口に出す。結果的に傷つけるだろうと解っていても敢えて伝える。彼女には彼女の理想的夫婦の在り様をイメージとして見ている。お互いが傷を指摘しあえば家庭の居心地は悪くなり、よって深みはなるべく抉り取らないように心がけようとする。死ぬまでの連れ合いと割り切ればそれでいい。この世的に見れば今までで十分出来過ぎた妻だろうと私も思う。しかし御父様が語られる意味での夫婦の形になりたいと思っているのかどうか心配になる。うちの場合がそうなのか、彼女の方が思考が外的だ。生活と生きる事にこだわり、まれに信仰すら外的な事柄を期待する打算的な面を覗かせる。それを無視したり笑って誤魔化せる私にはなりたくない。相手を傷つけて楽しいはずは無い。口に出せば向こうの感情以上に針のむしろを転がることになる。私には私の理想的夫婦の在り様を見ようとしている。私の理想というより天の理想への問いかけでありそこに近づきたい。祝福結婚という意味は永遠の愛の関係を築くことだろう。地上の夫婦を越えて霊界に於いても次なる地上生に於いても、兎に角永遠の愛の関係だ。少なくとも霊界に於いては肉体を始め地上的外的なものに結びつく全ての思考も感情も消え去る。純粋に心魂に刻まれ残りえたものしか霊界には持って行けない。その場では地上での上っ面の笑顔や賛美は何の意味も無く、感情の在り様そのままをぶつけながら全てを反発させるとしても、それぞれの神様に繋がる心魂の奥の芯の芯が何者なのかを捉えて、それをお互いが知りその位置と位置で一つになってこそ夫婦一体、永遠なる夫婦となれると思う。最初は内面にある表面的なものへの理解や愛から入っていく。しかし愛を深めるとはたまねぎを剥いていくようにより内面に向けての理解と愛を浸透させ、最後には心魂の中核にあるものへのお互いの理解と愛こそが夫婦一体に向かうはずだ。外的なものを超えた、主体の心魂と対象の心魂が混然一体となった、足し算存在ではなく新たな心魂存在であり新たな神様の対象存在として、より高次に羽ばたく霊的進化の翼を、夫婦が一体となる過程で創造している。
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