2010年3月6日土曜日
水仙
子供の頃、水仙の蕾を暫く見ていて、パッと花びらが開いた瞬間に出会えたことがある。田舎にはまだ薄汚れた根雪がしっかり残っていたが、そこだけは雪が窪み、数本の薄黄緑色の茎や葉を青い空に真っ直ぐ伸ばしていた。数株が力を合わせて、根雪に押し固められた地中の土を押し上げながらも、周りの雪の冷たさが身に染むのか茎や葉の緊張が薄れた黄緑色に表れている。暫く眺めながら、実は雪が窪んで根雪が溶けかかっているから芽を出したのではなくて、水仙の生命力という熱が土を暖め雪を溶かした事実に気付かされた。その場にしゃがみこみながら子供心に関心していると、まだまだ蕾は固く花開く気配さえも感じさせなかったが、そのうちのひとつが、ゆっくりと、しかし確実に私の目の前で花弁のひとつひとつを開いていった。周りの時間は止められて、その小さな蕾が花開くことだけに時の流れは費やされ、同じ高さに目線を合わせ食い入るように見入る私にだけ、その生命の神秘を差し出した。時間にすればほんの十秒そこらの出来事だったが、劇の一幕を見るようなその経過から、子供の心に落とし込む何かを受け取った。言葉にできない今までに経験したことの無い胸の高揚を覚えながら家に入り、冷えた身体をこたつで温めながらも、この体験は親兄弟にも誰にも決して話さず、自分の中にだけ留めておくべきなのだと強く思った。話してしまうと神秘の扉が閉ざされ、私は永遠にその扉の内側には入れないだろう。そんな気分に満ちていた。自然の中には想像を絶するほどの内的霊的叡智と、心情と呼んでもいい底深い感情に溢れている。人間として生きながら、それに比べて自分の魂活動があまりにも薄っぺらなように思われ、自然の中の全ての存在に対して畏怖の想いに沈められる。
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