2010年3月8日月曜日

今日の想い 149

今日の一日を生きることができた。生きることの本質を理解するなら今日の一日を生きることができたことが本当に感謝なのだ。明日をも戴いて生きることなど望むべきではないし、明日が今日の延長であって当たり前のように明日を迎えるなどと思うべきでもない。明日生きることを願う自分が欲張りだと思うほどに謙虚であるべきだ。今日を終えれば地上生活は終わると思ってこそ、今日生きることの密度はとことん濃くなる。何の感情も持たずに見慣れた景色を目にしているけれど、生きる密度が濃くなればそこに存在している全てのものや、身の周りに起こる全ての事柄が、それらの存在の意味を見せてくれるし話してくれるようになる。この毎日の日々が半永久的に繋がっていると思うところの、天にすれば傲慢以外何物でもないこの私は、今日という日をどれ程ぞんざいに扱っていることだろう。適当な気持ちで今日を生きて誰が、そしてどういう存在が、私に対して親身であり真剣に対応してくれるだろうか。本質的に生きるのでなければこの世界は本質を差し出すことは無い。今日の与えられた課題に対して恐れず逃げず、全霊を投入して事に当たる。適当にごまかし曖昧にする自分こそが戦う相手なのだ。自分との戦いに勝利しない限り、今日を闘って心と体が統一されない限り、自由な一日とはならず、平和な一日とはならず、幸福な一日とはならない。一日を終えてみてどの様であったとしても全てを報告しながら、未だ御父様という人間理想への道半ばであることへの謙虚さと、悟れないにしても今日の歩みに愛の関与して下さった天の御父様を始めとするあらゆる霊の存在に対する感謝の想いで内面を満たす。他の感情を一切排し、謙虚と感謝だけを魂に満たして今日の一日を締めくくる。そうできれば、もし明日と言う日が与えられるとして、前日の負債を引き摺ることなく、後ろを振り向くことなく前進できる。

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