2010年3月4日木曜日

今日の想い 148

この大宇宙の極から極という、億星霜の距離を真の父母と堕落的私の存在との間に置かれ、真の存在や真の愛との一瞬のふれあいさえも有り得なかった実情が、肉体を持たれた生きた御父母様を地上に戴くことで、御父母様の想いや願いを共有できる可能性すら目の前にあるという奇跡を生きている。堕落的肉心に長い長い年月を主管され、その性質が抜けきれないままでは幾ら手の届く所に居られたとしても御父母様の願いを共に生きることは許されない。そこに到るにはそれぞれの蕩減があり路程があって、イスラエル民族が数ヶ月の路程を40年かけざるを得なかったように、回り道や遠回りさえも受け入れて忍耐しながら今日まで来たけれど、それぞれにしてみれば気の遠くなるような道のりが未だ目の前に延々と続いており、御父母様に手が届くに到るのかと不安すら覚える。しかし立ち止まるなら私はサタンの子だと言っているようなもので、たとえ遅々たる歩みであったとしても一歩一歩前進する必要がある。神様に取っても人類に取っても人間魂の生死に係わる御父母様の存在を受け入れているか否かが最重要課題であって、それ故に全体摂理があり65億の人類を伝道している。人類総祝福化を標榜しながら最後の全体摂理が進められている。私個人や家庭の救いの段階がどうなのかも大切には違いないが、今の時に刻むべき最重要課題は全体祝福だ。それこそが今の御父母様の想いであり願いだ。己が無力と罪に思い悩む時を刻むのではなく、御父母様のその想いを先ず受け取り行動への意志を差し出すことのほうが私達に取っては大切だ。

0 件のコメント: