2010年3月21日日曜日

今日の想い 155

夫は妻を、全女性の代表として愛する。御父様は御母様に向き合い手を繋がれて、宇宙の全女性的なものをかき抱かれようと御母様という女性的頂点を愛される。御母様を、焦点を限りなく絞られた小さな目で見つめられながら、見つめられる御母様の目の奥に広がる宇宙の女性性相に対しておられる。この身体に備えられた両の目は、光によって創られた光の子だ。だから目は親なる光から光の本質を相続している。光の本質とは闇に秘められた神様の叡智を照らし出し、形あるものとすることだ。光が創造されなかったら宇宙の創造は有り得ない。人間はこの両の目を光から預かっている。預かったこの目を用いて本質を照らし出さないのであれば、預かっている意味はない。御父様が御母様に向き合われるように、私は全女性の代表である妻に向き合っている。妻に向き合いながら妻本人も知り得ない女性の本質を照らし出そうとしている。女性は男性に取って永遠の謎かも知れない。謎という闇に陰性的であり女性的な秘められた叡智が眠っている。秘められた叡智に光を当てるのが夫の役目だ。叡智を照らし出すことは堕落的地上世界から本然の世界を創り出す作用を及ぼすことになる。夫婦が一つになるという意味は、仲がいいとか上手く助け合っている等といった、表面的な意味を言うのではなく、一つになることで叡智を照らし出し創造の力を紡ぎ出すのでなければ夫婦一体とは言えない。御父母様は宇宙的次元でそれを為しておられる。語っても語っても尽きることの無い御父様の底知れない天の叡智は、御母様なしでは照らし出されはしなかったろう。太陽存在が月存在という対象を得たように、夫としての太陽存在と妻としての月存在が結婚して産まれたのが地球存在であるなら、地球存在は妻を迎えなければならない。御父様が御母様を迎えられ勝利されたことで、地球存在の結婚という地上的大変革が為されるはずだ。ミラージュ(蜃気楼)が現実の様に現れて、霊界と地上世界が区別できない空中時代とはそういうことだと思う。

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