2010年3月18日木曜日

今日の想い 154

オレンジ色の西日が指し込み、部屋の奥まで淡い光を届けると、あっけなく日は薄れて暮れていく。この西日に身を預けるとどこか寂しい気持ちが頭をもたげる。心を涼しい風が通り抜けるような、何とも言えない愁いの感情に沈む。統廃合した中学校の寄宿舎で、ホームシックに罹りながら、日が傾く頃になると決まってそんな気持ちになった。今でも夕暮れ時に差し掛かると、心を軽く絞られるような気分の中で、子供の頃の母の居る情景やらにおいやらがゆらゆらと立ち上ってくる。おそらく臨終に差し掛かれば、西日に浸る気分を最も深めながら、切なくも優しい色んな情景が身を包み込むに違いない。夕べにそう感じるのとは対照的に、朝日を浴びながら受け取る感情は、今日一日に対する期待感だ。今日なすべきことを魂に生起させ、それに対する前向きな感情で満たして今日を生きる決意をする。毎日を送りながら、朝に太陽が昇っていく気分と、夕べに沈んでいく気分を交互に味わい、その感情の違いを地球の呼吸として経験している。朝に吸い込み、夕べに吐き出す。一日が地球の一呼吸を意味している。地球の呼吸を魂の感情部分で味わい共有しながら、地球のリズムと波動の共鳴体としての私がいる。地球が吸気する朝に、既に今日という日が終ったかのように感情を後ろ向きに満たすのは、地球の生命リズムに反する。吸っている時に息を吐こうとするようなものだ。み言を訓読しながら、昨日を生きて内的に学んだものを踏まえながら今日を生きる指針とする。吸気することで戴く朝の生命力をその指針に合わせて投入する。地球生命体に組み込まれた者として、地球の一呼吸毎に内的進化、霊的創造の一つ一つを差し出している。

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