2010年3月6日土曜日

太陽と月

昼には凝視できない太陽の光を直接浴び、夜には淡い月の光に包まれる。太陽の光には宇宙の父親としての愛がその本質として流れており、月の光には宇宙の母親としての愛が流れている。父性愛は太陽光の如く直接的であり、母性愛は月光の如く反射された光として間接的だ。太陽光が影の存在を炙り出し白日の下に曝し出すと見て取られる様に、影の在り様を内包している堕落した身にしてみれば直接的な太陽光は裁きであるけれど、負債の陰りも無くなるのであれば直接的な太陽光を受け取ってこそ封印されて眠っていた人間本来の神性が目を覚ます。外界で太陽光が余すところ無く照らされているように、私と言う宇宙に太陽が輝き始め負債の陰りの浸入は許されない。月は太陽の妻として太陽光のみを受け取り、主体としての太陽の望みを叶える為の反射光を差し出す。本来そう在るべき人類の母としての月存在(エバ)が、太陽存在(完成したアダム)以外と関わりを持ったという事実が人類始祖において起こってしまった。堕落した人類は、太陽存在からは真の父性愛を受け取ることが出来ず、ルーシェル存在が人類の父として君臨し、またルーシェルの影響下に於いてルーシェルの光を反射する月存在(堕落したエバ)として母性的なものを受け取っている。太陽という外的表示の本質、太陽存在を迎えることができず、月という外的表示の本質とは繋がっていながらも本質自体がルーシェル的に歪められている。ルーシェルと、そして太陽存在を裏切った月存在という偽りの父母が人類の父母として君臨してきた。真の父母を迎えるという意味は、完成したアダム即ち太陽存在を迎えることであり、完成したエバ即ち太陽存在の光のみを反射する月存在を迎えるということだ。偽りの父の本性を堕落した母から受け取ってきたものを清算されながら、真の父母によって生まれ変わる人類が誕生する。新しい人類は太陽の本質を直に受け取り、月の本質によって太陽的に肉付けされていく。今まで使われていた太陽暦は堕落的に修正された都合のいいルーシェル的太陽暦であり、太陰暦に重心を置かれたことの意味は大きい。今まで内的霊的な基盤を築くのが中心であったものが地上的な事柄に肉付けされ始めた。

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