2010年3月17日水曜日

今日の想い 153

心の休まらない日々を送り始めたのはいつごろからだろう。不安の靄に覆われたままで年が明け、季節は変わり、気が付いてみると春の陽気に地上は包まれている。花々を咲かせ、緑を新しくする木々の復活を共に味わい、共に喜びたいけれど、私の内に春の訪れはまだ聞こえてこない。何か置き去りにされたような気がして、不安が心と体を重くして、身体を動かすのも足を運ぶのもしんどい。溜息がその度に出そうになるのを何とかこらえて、大きく深呼吸をしながら辛うじて心と体のバランスを取っている。溜息の一つでもつけば忽ちに私と言う存在は音を立てて崩れていく。私の中で私を霊の柱として立てる為に、数え切れない霊的存在が働いている。崩れ折れそうな心を説得し、暗黒の前途を勇ましく切り開いていく為に、それらの霊的存在は働いている。絶対善霊、祝福先祖、そして天使の群れが背後に見える。しかし前進する意志だけは私が担っている。それは私の中の御父様が担っているものでもある。暗黒の前途に突進する決意と覚悟という意志さえ差し出せば、霊の協助を得ることが出来る。私が意志を差し出すことは、私の中の御父様がその意志を差し出すことだ。だから、私と言う存在は御父様の代身であり御父様の証し人なのだ。不安と言う暗黒は、飛び込んでしまえば全く新しい世界だったりする。暗黒の中に魑魅魍魎を想像するけれど、飛び込んでしまえば実は別の次元の天使が微笑んでいる。今までどれほど不安と躊躇が前途を直視することを遮ったことか。その向こうに希望と理想が待つ境界線を、不安と躊躇が超えさせなかったことか。不安と躊躇の幽霊を手放さなかった事が、どれほど摂理を遅らせただろう。能動的、挑戦的であってこそ、成約の勇士と言える。虎の子は虎だと言えるように、御父様を慕う者は愛に裏打ちされた強い霊の柱、この身を貫く神霊の柱を太く一本立てるべきだ。

0 件のコメント: