2010年3月11日木曜日

今日の想い 151

ドクターから再度の透析の話があると、妻の表情は凍りついた。渡された検査結果の紙面に視線は釘付けされたまま離れない。数値を見る限り、移植した腎臓の機能低下は火を見るより明らかだった。メディカルセンターからの帰り道、思わしくなかったのは移植した直後からであり、自分の不養生のせいではないと半ば興奮気味に話していた。自分のせいではないと言い張ることで現実から逃れようとするけれど、誰のせいであれ逃れることはできない。言いたいことを一通り吐き出すと、今度は打って変わって黙り込んでしまった。これから痛みや苦痛を伴って自分の身に起こりうることが心の内側にイメージされ、意識を背けるように深海の底まで落ち込んでいく。決していつまでも働き続けるものではない。それが一年であれ数年であれ必ず機能しなくなる時を迎える。それはわかっていた。頭ではわかっていたけれど、感情がそれを受け止めてはいなかった。感情が現実を受け止める為の説得期間が必要とされる。これからどれだけの時間をかけて妻が自分を説得するのかわからないが、お互いが暫く重い空気の中で、苦しい呼吸をする日々がこれから続く。お互い健康のありがたさは嫌と言うほど思い知った。しかし健康であることが普通の事で、病に冒されれば謂れの無い仕打ちを受けているという思いは未だに強い。病に臥そうが自分の身がどういう状態であれ、自分が置かれた今の位置こそゼロポイントであり、健康であることが普通の事ではない大きな祝福の位置であり、それを戴くには畏れ多いと思えるほどに謙虚さの密度を濃くする。それでこそ外的に打たせて置いて、内的霊的な大きな気付きと成長を得ることが出来る。堕落人間に取って、自分から打たれる立場に向かう意志を持つことは至難の技だ。しかしながら病は自分の意志の強弱に係わらず訪れる。この身が病に冒されれば有無を言わさず打たれてしまう。仕方なく打たれた立場であるけれど、打たれた以上奪い返すものがある。宇宙のバランスは例外なく働き、打たれれば打たれるほどにそれに応じて与えられるものが必ずある。ある意味、病を受けたものは受けるに足る器と使命感を備えている。多くの兄弟姉妹が病に侵されながら、それを条件としてサタンから天の側に奪い返されたものが少なからずある。そう言う意味で健康な人よりも大きな功績を摂理進展に寄与している。犠牲となり為に生きている。自分の外的肉体という供え物を犠牲にすることで、健康な人が受け取ることは許されない、或る内的霊的、魂的、高次の力と技能を受け取ることができる。

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