2010年3月18日木曜日

2010年、春に想う

春を通り越して初夏を思わせるほど気温は上昇し、上着を脱いでも汗ばむほどだ。雲ひとつ無い青い空は、春の太陽の軌道を一日中表し、木々の幹や枝はひと時として欠けることなく日差しを受ける。受ければ受けただけの実りを差し出すものとして、彩りさえも見て取れるほどに枝という枝に芽を吹かせている。この陽気が数日も続けば、全ての木々は一遍に花を咲かせるだろう。幼少期から思春期へと、人間成長の最も見られる時期を、2010年と言うひとつの時の霊が今生きている。地上の景色はこの数週間で大きく変化を遂げる。小鳥は春に訪れる音の霊を受けることで、艶やかに鳴く喉を設ける。植物は春に訪れる光の霊を受けることで色とりどりの花を咲かせる。音の霊達や光の霊達が競演しながら働きかけ、地上の春と言う花を宇宙に差し出す。この春の息吹を生命の力として、私は受け取ることが出来るだろうか。溢れんばかりの息吹を、私は魂の力に変えて受け取ることが出来るだろうか。この小さな魂に、このガラス細工のような壊れやすい魂に、大きな大きな宇宙の力の一滴(ひとしずく)でも受け取ることが出来るなら、私と言う人間一人が正しく生きる力くらいは何のことは無いだろう。針の先ほどの魂でありながら、ありとあらゆるこの世的感情が手放せない想いとして煮え滾っている。魂を開いてこの執着のひとつひとつを、余すことなく青い春の空に思いっきり投げ出すことができるなら、どれほど清々するだろう。そうして空っぽになった魂に、春の息吹が勢い良く入り込む。魂の中で音の霊達と光の霊達が競演しながら、春の復活祭をお祝いする。

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