2010年3月15日月曜日

今日の想い 152

与え続けても、与え続けても、ひたすら投入してきたものは、砂漠に水を撒くように底なしの暗闇に吸い込まれ、その影さえも残してはいないようだ。それでも愛ゆえに与えることを止めることはできない。過去に於いて実らなかったものも、この愛には必ず応えてくれると信じて与え続ける。親に取って子は与え続ける対象だ。身を削り骨を削り、魂を削りながらも与えることを止められない。裏切られた愛として返され、返されたもので心を切り刻むとしても、切り刻んだ心で又も与え続ける。親にならなければ愛を見ることができなかったろう。空気の様にあることすら忘れて、受けていることも忘れて、与えてくれる存在に牙さえも剥きながら生き恥を曝し続けたろう。愛を愛と認識せずに受けることはできても、愛を認識せずに与えることはできない。与えようと思えば愛の意味を見ざるを得ない。私は神様に対してどれだけ不平や不満をあからさまに投げつけ、恨みを吐いてきたか知れない。実は未だに親なる神様に対して、本当の感謝を差し出すことができないでいる。私が直面している問題だけを必要以上に誇大化させ、被害妄想に襲われながらもその責任を時として神様に問うている。本当は非の全ては自分にあることをわかっていながら、どうにもならない焦燥や鬱憤を投げつけて責任転嫁しようとしている。親として子に向かいながら、神様に対する自分の在り様を子の中に見ている。神様に対して投げつけているものを、同時的に子供が私に対して投げつける。神様が私と言う砂漠に与え続けてきたように、私は自分をその中に見る子供に対して与え続ける。子に対するこの思いこそ神様の私に対する思いだ。感情の大波に揉まれ、何度も何度も砕かれながらも、それを通して神様の私に対する心情を味わっているのだ。

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