2010年3月28日日曜日

平和の天使

復帰されて高校生部として教会に通っていた頃、平和の天使が我が町にやってきた。原爆が落とされて、まさに生き地獄が繰り広げられたこの町に、平和の天使が舞い降りる。大輪の扇の花を可愛い笑顔で飾られたポスターが至る所に貼られて暗い街は彩られた。復帰されて間もない私は子供の舞踊と聞いて差ほど興味を覚えず、それよりは高校生に取っては高額のチケットの購入を薦められて困惑していた。一部屋四千円のボロアパートで暮らしていたから一枚の代金で三ヶ月は暮らせる。どうやってその購入代金を遣り繰りしたらいいのだろうか。更にそのチケットを何枚販売できるかと言われても口篭るしかなかった。一枚でも多くのチケットを売ることが願いだと言われれば、自分の頭に浮かぶのは親しかいなかった。今思い出そうとしても断片の記憶しか残っておらず、確かに二人の親と一緒に公演を見たのは覚えているが、その三人で鑑賞している映像に向かうまでの過程が抜けている。親に取って田舎から繰り出すことはそう簡単なことではなかったので私なりに説得したに違いないが、舞台を見る親の顔が沈んでいた印象があるため、決して喜んで来た訳ではないだろう。しかし記憶は抜けていても公演を見た後に覚えた感情は今でもありありと残っている。それは平和の天使の世界と自分と言う境遇との隔たりだ。美しく、清らかで、笑顔を絶やさず、感動を与える存在と自分を比べた愛の減少感と、素直に感動を受け取れない自分への苛立ちと、平和の天使をいつまでも仰ぎ続け決して同じ内的ステージには立てない惨めさだ。幕が下りて、幸福感に満たされた客達が声を弾ませながら街中に散らばり消えていく。自分と親だけが取り残されたように、出口で暫く佇んでいた。ステージなど見たことも無く、母は映画すら見たこともないので面食らったようで、建物から客の群れが吐き出されるのに揉まれてうろたえていた。喧騒が去り静寂を取り戻すとやっと落ち着いたようで、綺麗だったねと一言私に言ってくれた。母のその一言で私の中のいろんな思いが一変に消え去った。愛の減少感も苛立ちも、惨めさも吹き飛んだ。平和の天使の癒しは母の一言を通して私にも訪れた。

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