2011年1月13日木曜日

今日の想い 244 (J子さんの思い出)

水産が摂理の最先端だと、羨ましいと言わんばかりに送り出されたけれど、販売実績の無い私だからこそ白羽の矢が立ったことは知っていた。何をやらせてもだめだろうと思われていたのは、鈍い私でも良くわかっていたし自分でさえもそう思っていた。いつ厳しいみ旨の歩みについていけずに背を向けるのかは時間の問題のようだった。人事で東北岩手から東京に出さえすれば、機会を見て抜け出すことは可能なはずだ。人事に際してそんなことも思ってみた。事実それからは常に機を伺っていて、その日その時の準備に余念がなかった。心に芽生えたことは行いに出るのは当然で、その決行当日の詳細については随分前に記したことがあるのでここでは避けるが、田舎に帰る道すがら、祝福を諦めることについて後悔の念という刃先で心の内側を突きまくられて苦しくて苦しくて仕方なかった。結局当時の責任者に話してもう一度頑張ることに決めたのだが、やはり私にはいつまで歩み続けられるか自信が無かった。名古屋に移動させてもらいそこで悶々としながら歩み始めて暫くして、心霊復興と言うと大袈裟だが名古屋の近くの長嶋温泉に皆で行った。そこでJ子さんの公演がその日にあって、それを皆で見に行った。刑務所に歌手が慰問に来るような、勿論刑務所生活ではないし出向いて見に行ったので実際は違うのだが、気持ちとしてはそんな気分だった。みんなはそれぞれ食事をしたり大風呂に入ったり、日曜でごった返す施設で人ごみに埋もれながら楽しんでいた。いよいよ開演だ。皆がステージに近い前方に席を取ろうと突進していたけれど、私はというと見えるか見えないかの後ろの方で佇んでいた。この派手なステージに今の私は馴染めないと思った。色とりどりの照明が踊る中、テレビで見ていたJ子さんが客の頭と頭の間から見え隠れする。五、六曲だったろうか、アップテンポの聴きなれていた歌が会場を揺らす音響と共に届けられた。そして弾む息を辛うじて抑えながら最後の曲紹介を本人がすると、照明がグッと落とされ、目に心地よい柔らかなブルーの光に包まれたJ子さんが静かに歌い始めた。化粧という曲だった。詩の内容は別にして、聞き受けるうちに物悲しい、むせび泣く様な曲調が私の心に滲みて共鳴し始める。涙が止め処もなく流れてきた。不安や自責の念や訳のわからない感情が涙となって流れ出た。そして、この涙のお陰でもう暫くは我慢して歩み続けられるとその時思った。祝福にあずかる少し前の、今から三十年も前の話だ。そのJ子さんが数年前に一度店に家族で来てくれたことがある。