2011年1月13日木曜日
今日の想い 243
苦しい時には苦しむ為に生まれてきたと思えばいい。悲しい時には悲しむ為に生まれてきたと思えばいい。この苦しみが苦しい時の私の友であり、この悲しみが悲しい時の私の友なのだ。悩み多き人生も、生きていればこその悩みであるから、悩むだけ悩めばいい。大した悩みも通過せずに、感謝の気分でみたされることなど有り得ない。悩み苦しみ悲しんだ分だけ、私の内面は感謝の気分で満たされていく。より深い感謝の想いに没頭できることが至福の境地なのだ。苦しい時も悲しい時も、御父様をしっかり掴んで放さずに、お父様にしがみ付いて苦しみを味わい続け、御父様にしがみ付いて嗚咽すればいい。そうやって、御父様と共に歩む内面生活を過ごして初めて、御父様の為に頑張りたい、お役に立ちたいという想いの芽が芽生えるのであって、心情因縁の積み重ね無しに御父様を慕うことはできないだろう。たとえ絶望の淵にあり、悲哀の奥底で心身をくねらせるとしても、御父様が私と共におられ同じ境地を共にしておられるという実感が、唯一の私の支えだ。私が投げ出そうとしても、御父様は私の為に、投げ出す私の分まで引き受けて背負い、私を先導しておられるはずだ。今私が全てを投げ出し、ありとあらゆる悪に身を委ねたとしても、地獄の底のその位置で私の隣に御父様がおられる。だから、地獄であろうが死の境地であろうが、恐れる必要はまったくない。火に焼かれるその場で御父様と共に焼かれ、死の病の苦しみの中で御父様と共に苦しみ喘ぐ。恐れの為の信仰ではなく、御父様と共にある歓びの為の信仰だ。御父様御父様と、念仏を唱えるようにぶつぶつ言いながら、駄々っ子の様に御父様をつかまえて放すことはない。
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