2011年1月6日木曜日
今日の想い 241
一生懸命与えようとするものを侵入と捉える、心を閉ざしたままの魂の在り様をどうやって溶かしていったらいいのだろう。氷が水になる融解点が零度であるように、固体状況の魂が融解する温度を測れるとするなら、一体何度になったら閉ざした心を開き始めるのだろうか。親の想いという熱様相をひたすら与え続けながらも、目も合わさずに無表情をまとい続けて、伺いえる小さな隙間さえ見せないでいる。もしも魂の冬がいつまでも続いて終わらないとするなら、この家庭に流れる愛は既に枯渇しているとしか言えない。うな垂れた顔を上げて目に輝きを取り戻し、固まっていた表情を弛緩して笑顔を取り戻す。しっかりと固く閉ざされたまま暫く開くことさえなかった口元を緩め、要求でも何でもいいからその口を開いて言葉を投げかけて欲しい。春が来るのをひたすら待ち続けて冬を耐えてきた。燃えきれず燻る想いを抱えながら、どう接していいのかわからずに焦りだけを相手に晒している。年だけを重ね、身体が成長しているのは確認できるとしても、その心の内の変化を直接見届けることは出来ない。期待だけを繋ぎ続けて今に至って、それが他人任せの親の無責任でしかなかったことを教えられた。親としては教えられたけれど、子供に対するこの期間の犠牲は大きい。それが全て態度に表れている。遣り切れない想いが私にあるように、言葉に表せない更なる恨が神様にある。私は神様に対して、居た堪れないほど申し訳ない。私を信じてこの子女を任せてくださった神様に対して、私は顔向けできない。それでも神様が任せざるを得ない私であるならば、私が出来る最後の精誠があるはずだ。その決意と覚悟を供えて今を生き続けていく。
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