2011年1月29日土曜日
今日の想い 251
神様は愛ゆえに人間を創造された。人間を創造されながら希望で胸を膨らませられた。神様は愛ゆえに人間を自由な存在として創造された。堕落する可能性もある自由な人間を創造された。自由な存在として創造されながら人間に対する信頼を胸のうちに収められた。堕落する可能性を絶対的信頼を持ち続けて超えてこられた。神様は愛ゆえに堕落する人間に手を出すことはされなかった。堕落のプロセスを追われながら手を出す衝動を縛り付けて耐えられた。愛を愛として残す為に耐えられた。もしここで神様が手を出されていたら、愛はもっとも貴いものとはならず従ってそれは愛とは言えない。愛の原理原則に対しては絶対服従で耐えられた。神様は愛ゆえに人間を救おうとされた。サタンの血統に繋がれたサタンの子女を、愛ゆえに我が子として救う為に絶対愛で復帰の摂理を尋ねてこられた。神様は愛ゆえに一人子を送られた。愛ゆえに唯一の一人子をサタンの末裔に送られた。そして神様は愛ゆえに一人子を犠牲にされた。人類を救うという絶対愛の為に犠牲にされた。神様は愛の為に全てを犠牲にしてこられた。事実、神様は全てを犠牲にされて何も持ってはおられない。神はいないと言う言葉は或る意味正しい。流す汗も涙も無くなり、最後の血の一滴すら犠牲にされて死の寸前にあって無きに等しい存在を、生きて働いておられる神様がいると認めるほうが困難だろう。そんな神様に取って御父様はどういう存在だろう。人類に取っては御父様の愛の勝利は救いであるけれど、神様に取っては与えて与えて与え尽くした後、初めて愛を受け取る位置を御父様によって復帰された。御父様ゆえに創造歴史を超えて初めて、神様は愛を愛として受け取られたのだ。御父様が捧げる真の愛が神様に届き、神様を本来の位置に迎えられたのだ。私達は御父様の愛ゆえに集められた。その愛は御父様の血と汗と涙に染まっている。御父様の血と汗と涙が私達の存在の基だ。私達も御父様の愛ゆえに精誠を供える。血と汗と涙を供える。私達は愛を求める存在ではなく愛を与える存在だ。与えて与えてボロボロになってもそれを善しとし、御父様に近付き似ることで喜びとする存在だ。
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