2013年8月29日木曜日

今日の想い 609

み言葉で審判される。み言葉を訓読し、理解に及べば及ぶほどみ言葉が私を裁く。私は項垂(うなだ)れるほどに愛の減少感を覚える。御父様との遠い距離を、愛の光の届かない位置を、自覚させられる。それでも出来得る限りのみ旨への献身を自らに強いる。それで減少感が満たされるというものではない。アダムとエバへ向かう神様の愛に比べて、もはや自分へは見向きをされない神様のように思えたルーシェルほどではないにしても、それでも愛の減少感で私の心は空洞となり冷たい風が吹き抜ける。多くの兄弟達が去って行った。この道に自分が求めるものはないと結論付けて去った兄弟もいるだろうが、弱さを克服できずに、着いて行くことができなくて去って行った兄弟が殆どだろう。彼らの気持ちならよくかわる。私はと言うと、しがみついたままここまで来て、今は僅かに引っ掛かったまま、いつ吹き飛ばされるのだろうかと案じている。み言葉を必死で読み解きながら、箸にも棒にもかからない私の家庭であっても、それでも祝福家庭として勝利圏を相続できる何らかの道は残されているはずだと躍起になって探すのだけれども、み言葉を理解すればするほど、み言葉が私を裁く。相対が絶対信仰に立てないのも結局私の責任だ。相対が立たなければ子は母と一体なので子も立たない。三代を祝福して家庭的基盤を築かなければ真のオリーブの木の実は収穫できない。霊界の先祖はよくわかっていて、実体を持たない先祖は何とか目覚めて欲しいと妻を打つ。執拗に打つ。しかしどれだけ打たれようとも些細な条件にしかならないだろう。それでも打たないよりは打ったほうがいいということだろうか。私も妻も気を許せば崩れ落ちる。辛うじて持ち応えているけれども、バランスを崩す何らかの横的力が働けばひとたまりもないだろう。兄弟達は、自分は人間でルーシェルとは違うと思っている。天国に直行できると思っている。しかし文明に、三代圏が立ち氏族復帰を為した兄弟とそうでない兄弟は位階が異なる。霊的な地位が異なる。アダムエバと天使長ルーシェルの位階が異なるのと同じだ。位階が異なれば愛の減少感を覚えるのを越えて、第二第三の位置で勝利に近い兄弟達を支えていく使命を担う。とにかく勝利する氏族メシヤを一家庭でも多く輩出するのが天の願いだからだ。神様が認定するアベルの祝福家庭がある。アベルに認定されなければカインの祝福家庭になる。だからと言ってカインとして分けられた寂しさにうち沈んでばかりはおれない。アベルを支えアベルが勝利することで一体圏のカインも引き上げられる。自分や自分の家庭が見捨てられてしまったようで、教会に対して反感を覚えたり、これだけ頑張ったのに実らないと落ち込んだり、いろんなカイン的感情が噴出するだろう。しかし全てがアベルになれる訳ではない。カインの位置に立つ運命だったと理解し、カインの位置で貢献できることに感謝もし、この世の先頭に立つのはカインの祝福家庭だ。この世的実力もつけ、この世の先頭に立ってアベルの祝福家庭を支えて行く。

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