2013年8月29日木曜日

今日の想い 610

反対派の意見として教会側の食口の感情を煽るような言い方をするのは、別に今日に始まったことではない。しかし自分を教会側の位置に立っていると自認する者が、その言い分としては反対派の意見と同じように感情を煽るものがあって、正しいか正しくないかは別としても目糞鼻糞の類と同じようで何とも情けない。教会側に立つと自認するなら同じ面に立つ左に対する右という位置ではなく、反対派の位置から数段高い位置に立って意見して欲しいと思う。反対派に対して義憤の思いで戦う姿勢を取っているのかも知れないが、兄から弟、弟から兄という平面の次元ではどちらも屈服しない。どちらかが父の事情心情に立って相手に対するのでなければ、お互いの論戦に愛は関与せず、一つとなる接点は永久に見出せないだろう。400もある統一教会のブログ村で真理と神霊が関与すると思われるブログは片手で数えるほどしかない。あとは取るに足りないものばかりで、苦労の百科事典の統一教会であれば涙なしでは聞けない証しを持っている食口は五万といるだろうに、ブログとなると、どうしてこうも情けないものばかりが順位を上げているのか、溜息が漏れる。そういう訳で一時はブログ村に入れてもらっていたが、今は誰も寄ってくれない名も無い親父の日記だ。えてしてカイン側の方が知恵もありこの世的実力もある。ソロモンを頂点とする祭司集団はアベルの系統だけれども、ソロモンの神殿を立てたのはヒラムを中心とする石工集団であり、カインの系統だ。石工集団は後にカインの系統としてフリーメイソンへと繋がり、やはり実質的にはカインの系統がこの世を支配している。しかしカイン側は好きでカイン側に立った訳ではなく、それなりの背景があって神様に距離を置く立場、すなわちサタンがより愛する立場に立ってしまったということだ。その背景を問うことも無く一方的にアベルの威厳をかざしても、失敗してきた摂理をいくらでも繰り返すことになってしまう。反対派が現れた事、グループが現れた事、それは以前の摂理でアベルとカインが一つになれなかったが故であり、彼らの出現にアベルも十分に関与していて他人事ではない。しかし、その認識が無い。謙虚さが無い。カインがアベルを殺すまでに至った、あの世紀の因縁があらゆる場面で息を吹き返している。カイン圏にはカインが生きて働いている。アベル圏にもアベルが生きて働いている。遠い太古の話ではない今の今もアベルとカインの戦いは再現されている。母子協助時代は父を立てる為であったけれども、父が立った今は父子協助時代であり父が協助して母を立てる時代だ。皆は未だに御父様により意識が向いているようだけれども、全ては御母様に御母様に意識が向かわなければならない。御母様を立てるために御父様は全面的に協助されておられる。母が立たなければアベルとカインは一つになれない。母が中心となってこそアベルとカインは一体圏に立てる。聖霊実体であられる御母様に意識を向けるのでなければカイン圏の位置からも追い出されて隔離される、すなわち現代的島流しの憂き目に会うだろう。

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