2013年8月3日土曜日
個人から家庭へ(家庭の王)
霊界があり地上世界がある。そして霊界と地上世界を取り持つ心魂世界がある。人間は霊的存在であり肉体を持った地上存在でもある。そして霊人体と肉体を取り持つ心魂体がある。心魂の活動は知情意として現れる。知の部分である思考はみ言葉を土台としてこそ本然の思考に近付ける。情の部分である感情は心情を土台としてこそ本然の人間感情に近付ける。本然の思考と感情を通してこそ、意志としての衝動は為に生きる真の愛の具現化となる。ここまでは個人の救いと完成という宗教の部分であり、そこに留まる限りは他の宗教と同じ、個人の救いのステージだ。私達が特異なのは統一教会という宗教を卒業して(世界平和)家庭連合へと位相を移して活動する、即ち個人の救いと完成から家庭へと、救いと完成のステージを上げている。それは個の位置から見て敢えて言えば、個人があって家庭があるというパラダイムから、家庭があって個人があるというパラダイム変換だ。それは霊界の存在様相と合致していて、御父様が言われるように霊界の存在様相は夫婦一体となって存在しているのであり、更に家庭一体となって存在している。天国で男、女、一個一個で存在するのではなく夫婦一体一存在で天国生活を為す。私達が個人の救いと完成を卒業しない限り宗教圏を脱して御父様について行くことはできないのであって、八定式以降の宣布式やみ言葉の数々が理解を越えるのは、私が未だに宗教圏という個人の救いと完成のステージから飛躍できないが故のことだと言える。私は王権という言葉、家庭の王という言葉に対して、御父様が使われる意味での概念として受け取っているかどうかを改めて問う必要がある。さらに私達が理解しなければならない重要な言葉として入籍という案件、これは個人が入籍するのではなく家庭が入籍するわけだが、入籍することで天地父母の創造理想を根こそぎ受け継いで自分の家庭に定着させる。成約時代とは家庭定着時代だと話されるが、家庭が定着するのではなく、家庭に定着する。何が、、?家庭の王に仕え侍ることで創造理想が定着する。家庭王権時代宣布(陰暦2000,10.01)で話された重要な部分を太字にしたが、私達(私だけ?)が理解する家庭の概念と、ここで御父様が言及される家庭の概念が異なっているように思える。私達は個人から家庭へとジャンプしなけれならない。聖和された御父様だけれども、地上におられる時以上に御父様にしがみ付いて、仕え、侍らなければ、私達は霊的な翼を自ら挫いて御父様の高みには着いていけない。
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