2013年8月17日土曜日

第四次アダム心情圏時代 (2)

今の時代が第四次アダム心情圏時代だというはっきりとした認識を持って歩んでいる食口が、どれだけいるだろうか。第四次アダムとは誰なのかもわからなければ、そうであれば第四次アダム心情圏時代に生きる認識も勿論ない。私達は今、祝福の中心家庭の名で報告祈祷している。簡単に言えば第四次アダムとなったからこそ祝福の中心家庭の名で報告している。形だけはそうしているが、形が本質を伴ったものであるかどうかは報告祈祷する私達一人一人、あるいは祝福家庭それぞれでしかわからない。皆が十派一絡げで、或る外的条件を供えれば第四次アダムであり、皆が同じ第四次アダムの心情圏に生きているとは言えないからだ。勿論、総生畜献納を収めることが第四次アダムの位置に立てる条件ではあるけれども、条件は条件であって、それが等しく第四次アダムとして生きることとはまた別問題だ。第四次アダム心情圏時代に対比される時代が、それ以前の救援摂理時代だ。救援摂理時代は報告の時代ではなく祈祷の時代であり、報告は善の結果という実を供えるのであって、ただの祈祷のようにひたすら答えを求める姿勢とは異なる。御父様は、み旨をなす代行的機関を御父様から引き継いだのが祝福中心家庭であると言われたのであり、そうであるなら求めるだけの祈祷に留まらず、み旨にプラスの藁一筋でも供えて報告する必要がある。第四次アダム心情圏時代とは、先生が皆さんの家庭に対して関係を結ぶのではなく、皆さんが先生と関係を結び神様と関係を結ぶ時代だと御父様は言われた。祈祷という受動的な私や私の家庭ではなく、報告祈祷という能動的な私や私の家庭とならなければならない。何か貰えるものを待って御父様に対するのをやめて、何か与え供えるものを差し出して御父様に対する。受動的ではなく能動的な姿勢に私が変わらなければ第四次アダムとして生きてはいない。祈祷は、(1)最初は真の父母の御名で祈祷したのであり、(2)それから真の父母様の勝利圏を祝福で受け継いだ私の名で祈祷するのを経て、(3)今は祝福の中心家庭の名で報告祈祷している。(1)最初は完全な受動的姿勢であり私の主体性は全くない位置から、(2)サタン圏から断絶隔離された位置で勝利圏を引き継いで、(3)今はみ旨に対して主体性を持った私の位置で歩んでいる。お前を勝利圏に既に立てた、後のみ旨をお前に引き継いだと言われても、困惑し通しの私達であることは御父様は百も承知だろう。しかし神様の子女であるという人間の人間たる所以はおそらくそこであって、手を出さないからお前がやれと言われて、やるかどうか、結果を残すかどうかを私に見ておられる。食口それぞれは困惑期であり教会は混乱期だけれども、ここを踏み越えれば必ず霊界への主管性を取り戻し、そうすれば地上界への主管性も取り戻し、私達は名実共に第四次アダムとして立つことができる。

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