2009年1月22日木曜日

第44代大統領就任式

平日なのにメインストリートも車の通りが少なく、ビジネスになるのかと心配したが閉めるわけにも行かないので、いつものように準備して客の入りを待った。案の定、就任式がひと段落つく一時過ぎまで、3テーブルのみで、いつもなら一時半位にはランチラッシュが終わる頃なのだが、その時分からやっと客が入り始めた具合だ。過去にも何回か就任式はあったが、これほどに影響を及ぼしたのは初めてのことだ。ここからワシントンのモール(キャピトル、モニュメント等がまとまってある区域)まで地下鉄で40分くらいだが、この辺りに住んでいる人や働いている人は、わざわざ人が溢れかえっている会場まで足を運ぶ人は差ほど多くは無いと思う。しかし皆が皆、テレビの就任演説に噛り付いて見たのだろう。オバマ人気恐るべしと言った感じだ。経済に対する閉塞感が頂点に達し、次なる政権に期待をかけざるを得ないだろうし、前政権に対する落胆が大きければ大きいほど、新大統領の輝きは大きく映る。期待度のゲージがフルに振れた視線を、浴びれば浴びるほどに本人は益々カリスマ性を高めていく。初めての黒人大統領とあれば黒人人気は当たり前で、感情表現の大きい彼らは幾らでも彼を祭り上げていく。国民の一番の関心事は経済政策に違いないが、具体的政策メニューのお品書きはこれから出される。国民に取って喉越しのいいものとは絶対にならない。その覚悟を仄めかす就任演説でもあったのだが、誰もが熱気に酔いしれて気分上々でYES WE CANを連発していたけれども、醒めた頃にうだうだ言い始めるのは解りきっている。アメリカはいよいよ国家レベルの酔いから醒される。国家的繁栄という神の祝福は、それを他国に分かち合える精神的土壌が建国精神として生きていたからであり、更なる精神の高みへの指向を神が絶対的に信じて下さって今日までこれた。しかし神は信じることを放棄せずとも、訴えるものは五万といる。地獄の底が撤廃された今は打たれる条件があれば容赦なく打たれる。それが個人であろうと国家であろうと変わりない。国家の自惚れはもはや目を当てる事ができないほどだ。打たれるべき点は気持ちよく素直に打たれるべきだ。その覚悟がオバマを中心として本当に出来るのであればアメリカは再び返り咲く。しかし無節操な経済至上主義を懐かしみ恋しても、その当時に返ることは決してない。覚悟ができないのであればアメリカは分割されてしまうだろう。オバマ熱気に酔う国民を見ながら、これは酔いが回ったアメリカ国家への向かい酒なんだろうと思えた。

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