2009年1月31日土曜日

今日の想い 47

ミーティングの席でベンチマークと言う言葉が飛び出してきた。経営優良店を真似ることで上手くいくと考える。基準となる数字、利益率であったり原価率であったりを設定して、いろんな対策を立てていく。数字としての見栄えが良くなるよう、弄ぶようにいじくる事がビジネスだと言わんばかりに問いかける。そこには死んだ無機質の数字を扱い、客に対する想いもはじかれる利益に対する想いも、我々のそれとははっきりと違う。知らない経営用語を耳にしてきょとんとする連中を、上から目線で一瞥する。自分は実力があると言う幻想に、いや恐らく実力は備わっているのだろう。しかしその実力がへし折れた時、何をみ旨を歩む支えにするのだろう。自分の無力さを痛いほど味わいながらも、喜んだり怒ったり、悲しんだり慈しんだり色とりどりの感情をも味わいながら魂の活動を実感として受け取り歩んでいる我々は、どれほど生きることの本質に近い立場か。悲しいかな我々の組織でさえ、上下前後左右、一貫して貫かれた真の想いが見出せない。ビジネスに対する想いの中に天が受け取る内的霊的事柄が見出せない。天に対する思い入れを熱く語る責任者ではあっても、その想いが熱が、ビジネス活動の中に浸透することはない。ビジネスという堕落世界に浸透しきったシステムそのものの中に、真の愛は介在していない。万物復帰で走りながら、信仰から来る精神力を投入したように、ビジネスの中に注ぎいれるべき内的霊的なものがある。真の父母から流れてくるところの愛の要素でビジネスシステムを再創造することが、我々がビジネスに介入する意味だと思う。決してこの世的売上追求や利益追求そのものに天の願われる行動は含まれていない。新たなビジネス立ち上げには勿論、日々の業務ひとつひとつにさえ真の父母から来る心情を投入することだ。作る商品に想いを込め、受け取るお金1ドル1セントにすら込められた想いを受け取る。備えられた備品それぞれを愛おしく想いお客や従業員に天にとりなす感謝の念を植え込む。今日一日の営業で復帰された内外の供え物を報告し、そして五年十年というロングタームに於いては既存のビジネスを天の願われるものとして再創造していく創造活動に寄与していく。注ぎ込まれる内的霊的なものを、真の愛の流れ来るのを、内的熱として熱い感情として受け取ることがどれほど刺激的なことか。

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