2009年1月18日日曜日

今日の想い 41

御父様の願いを受け取り、それに応える。今までにも多くの願いを中心者を通して指示され受けてきた。そして今も常に、願いがここにあると言われ続け受け続け、歩んでいる。しかしながら願われる内容にどれ程応えることができ、満足していただいただろうか。はっきり言って御父様の願い、中心の願いに応えた事はないし満足していただいた事もない。どころか、受け取ってもいないし受け取ろうともしていない。願いを受け取る程に成長していた訳でもない。少なくともそういう疑問を投げかけて見る事だ。言われるままに肉体を動かしてはいたものの、御父様の願いが自分の願いであるという強い衝動を覚えることなく、受けた願いを自分の願いとして捉える事が出来るかという疑問を持つこともなく、条件反射的に動いていただけの事であって、それは一つの自我を持った存在として願いを受けたとは言えない。一つの為さんとする事柄に対して、そこに達成したいという熱い想いが無かったら、辿り着く事はできないだろう。熱い想いが入れば入るほどに達成度合いは高まる。この世の人間はそれなりに自分から来る夢と理想を持っている。抱く夢と理想が高尚なものであるかどうかは別として、自分から来るものであるから自ずとそこに熱は入る。下等なものであれ只単に本能的なものであれ、欲を満たすという夢を追い求める事を生きる道理として受け入れている。霊視するならこの世の人間は熱いものを内在する赤色を帯びているが、組織の中で機械的になった兄弟は放つオーラは見えにくい。過去は条件反射的に動く、そういう在り様でしかついてくることができない時期もあった。しかし時代は今、変革の只中にある。真の父母によって生命を与えられた自我が揺り起こされ、御父様の願い中心の願いを自分の夢や理想として受け取ることができる自我の目覚めを迎えている。太陽存在が活発化しているように、小宇宙としての人間の太陽存在である自我も光を放ちはじめる。自分が今生に生まれ出でた事の意味は、生きた真の父母と生きて時を同じくし、真の父母に拠って深い眠りに落ちていた自我を点火し、真の父母の夢と理想、即ち神様の夢と理想に対する熱い熱い想いが大爆発するその只中で、涙に咽ぶ喜びを真の父母と神様と共に分かち合う事にある。

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