2009年1月12日月曜日

今日の想い 39

兄弟には甘えがあり、この世の人が渡っていく厳しさを持ち合わせていない。グループ内に於いても甘えが目立ち、与えられた責任事項に対しても他人事の域を脱しきれず、責任を取るという意味がわかっていない。上司がそう口にするように、多くの者にその思いは確かにある。しかし今のそういう在り様はそれなりの経緯があってのことで、個人個人を責めても解決できることではない。甘えを助長するようなものが体質としてあるのか、甘えを持った者しか残れずに厳しさを備えた者は遠のかざるを得なかったのか、そのどちらもあるのだろう。愛の何たるかが解っていない愛の群れに、摂理としての要求が重荷として支えきれないほどにのしかかる。最初は何とか誤魔化しながらでもそれぞれの中で消化出来ていたものも、更なる要求が度重なってくると消化不良を起こしてしまう。消化できる容量を増やすことが願われていたのだろうけれど、そう簡単に人間の度量や会社の度量を大きくする事はできない。度量容量を大きくする為の教育なりしくみが出来ていれば、ここまでのお粗末な実力や人間力組織力にはならなかったと思う。しかしながら教育や仕組みづくりもそれ相応の時間なり資金を含めたエネルギーが必要になる。期限を切られ、このノルマと言う切迫観念に捕らわれると、金の卵を産む鶏の首まで絞めざるを得なかったと言うのが責任者の言い訳に違いない。しかし従う者は従う者として今の在り様に対する責任が同じ程度ある。内心は無理である事を感じていながらも口ではやりますと言う。そうなると後は、やれることはやりましたと説明できる言い訳作りの行動でしかないだろう。決して建設的だとは思わない。大風呂敷を広げ、身の丈に会わない目標を与え続け指示を出し、地に着かない足が更に浮き上がって取り返しのつかない事態にならないように、先ず現状認識をしっかりとやり、その上で内外の再構築をすることが要求される。目立たない見えない事柄に時間とエネルギーを費やす覚悟を要求されている。その覚悟を会社としてグループ全体として責任者として、持てるかどうかが問われている。覚悟が出来ない限り、どこまでも落ちていく。覚悟が出来てやっと底打ちができる。

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